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2018年05月号

vol. 134

ウィンストン・チャーチルの「後悔」

~勝利には第三者の力を不可欠としてはならない。なぜなら戦利品をすべてを失うからである~

第二次大戦は、ウィンストン・チャーチルの筋書きの通りに進んでいった。
そしてチャーチルにとって、大英帝国はこれまで通り、世界に君臨する覇者であったはずだ。
だが大戦後、チャーチルは思いもよらぬ「後悔」に立ちすくむ。

前回に続いて、今回もウィンストン・チャーチルを取り上げたい。
前回は、この大戦を勝利に導いた最大の要因は、それはチャーチルの「個性」にあったことを書いたのだが、
今回は、そんなチャーチルが犯した「大きな誤算」に目を向けたい。
その誤算とは「勝利した大英帝国は、結局は何も得なかった」という現実だった。

ヒトラーから提示された偽りの「平和協定」を拒絶し、ドイツに宣戦布告をしたチャーチル。
「戦争で負けた国は立ち上がれるが、ひざまずいた国は再起できない」という名言も残し、
自国民を鼓舞し、連合国をまとめ、陥落させられた国々に不屈を呼びかけ、
チャーチルは、最後の一兵まで戦い抜くことを世界に誓った、紛れなき無二無三のトップリーダーだった。

チャーチルがいなければ、第二次大戦は、ヒトラーが勝利していたかもしれないし、
戦後の世界地図は大きく変わっていたかもしれない。
それだけチャーチルの存在は大きく、彼の果たした役割は、後世まで賞賛されるべきものだろう。

だがチャーチルは大戦後、あっけなく首相の座を追われ、野に下ることになる。
当時の新聞にはこう書いてある。
「戦争を勝利に導いて歓喜した後、国民はチャーチルを喜んで海に突き落とした」と。
なぜなのだろう。彼は英雄ではなかったのか。だがその理由は明快だった。
チャーチルは、世界の4分の3を支配していた「大英帝国」を、欧州の西の端にある小さな島国に没落せしめたのだ。

チャーチルは戦後、「植民地」が次々と独立するのを止められず、
経済の柱となっていた「軍需産業」は衰退し、この大戦のためにアメリカから膨大な戦費の借金し、
戦禍によって一番の買い手だった欧州市場を失い、英国の社会インフラはすべてが崩壊していた。
だが、国民の多くの嘆きは、これらの痛手ではなかった。
国民の最大の嘆きは、世界の覇権を、アメリカとソビエトに奪い取られてしまったことだった。

チャーチルの書いた「筋書き」を追っていこう。

英国には、もう無傷の戦闘機など1機も残っていなかった。もはやヒトラーと一国だけで戦うことは不可能だ。
そう判断したチャーチルは、アメリカとソビエトを、この大戦に巻き込もうと考えた。
それまで単なる「欧州動乱」だった戦争を、地球規模の「世界大戦」に持ち込もうという筋書きだ。

しかし、この戦争にアメリカを参戦させることは簡単ではなかった。
第一次大戦のとき、アメリカは連合国の一員として参戦したが、犠牲が大きい割には、何の見返りもなかったため、
もう欧州の戦争に加担すべきではない、という世論が大きく、
ルーズベルト自身、「参戦はしない」という公約で、大統領選に当選をしていたぐらいである。

そこでチャーチルは、まず、日本とアメリカの間で、戦争が起こるようにしむける「迂回作戦」を目論む。
ABCD包囲網を作り、日本を経済封鎖し、先に日本がアメリカに拳を上げるように仕向け、そして真珠湾を攻撃させたのである。
この理不尽な先制攻撃に、アメリカの国民感情に火が点き、ルーズベルトはやすやすと太平洋戦争への参戦理由を手にする。
こうしてアメリカは、第二次大戦の機軸となり、必然的に欧州戦線にも立たなければならなくなった。

ソビエトはすでにドイツ軍と戦火を交えてはいたが、チャーチルは、そのソビエトとも連携を図る。
西から英米、そして東からソビエトがドイツ軍を挟撃する作戦をスターリンと約し、ヒトラーを両側から追い詰めていく。
そしてノルマンディー上陸作戦を以ってついに形勢は逆転。ドイツは無条件降伏し、欧州の戦いはここに終結する。

チャーチル、ルーズベルト、スターリンが顔を揃えた「戦後の世界分割」を話し合う「ヤルタ会談」はあまりにも有名だ。
チャーチルにとっては、勝利には、どうしても2つの大国の協力が必要だと考えた上での「演出」だったのだろう。
果たしてチャーチルは、とうとう「虎の威」を借りてしまったのである。

チャーチルはここで初めて、ドイツを駆逐するための代償が、あまりにも大きかったことに気付くのだ。
チャーチルは「ドイツ第三帝国」を壊滅させたが、その代わり「スターリンの支配する東欧社会主義」を生み落とした。
アジアでは「大日本帝国」を崩壊させたが、その代わり「毛沢東の共産主義中国」をも生み落とした。
そして、アメリカの援助によって勝利したため、戦後、「ポンド体制」も「国際政治支配システム」も、
ことごとくアメリカの手に移ることを認めざるを得なかったのだ。

チャーチルは晩年のインタビューでこう語っている。
「結局、私は何も得なかったのだ」と。
そうなのだ。勝利に第三者の力を不可欠としてはならなかったのだ。
チャーチルは、後世の我々に、この貴重な「教訓」を残してくれている。

さてさて、ここから突然にビジネスの話に変わるのだが、
このチャーチルが残した「教訓」が活かされなかった典型のようなエピソードをご紹介しよう。
まさに、このチャーチルと同じ「後悔」を味わった世界的企業があるのだ。
コンピュータの巨人「IBM」である。

IBMは1980年代初頭、パーソナルコンピュータ(以下:PC)の開発で、ライバルと凌ぎを削っていた。
そのとき、そのPCの頭脳にあたる「OS(オペレーティングシステム)」の設計を、
小さなベンチャー企業に委ねたのだが、その小さな企業こそ、今や世界に君臨する、あの「Microsoft社」である。
IBMは今、PCからは早々に撤退をし、Microsoftは今や世界一のソフトウェア企業にまでのし上がった。

当時IBMは、PCの開発を、他社に先駆けんとする余り、
「版権だけは譲らない」というMicrosoftの主張を呑み、コンピュータ技術で一番コアな部分であるOSを外部から調達したのだ。
ナメていたのだろう。Microsoftという、たった2人しかいない小さな会社を。
IBMはそのあと独自のOSを開発するのだが、ときすでに遅く、MicrosoftのOS(DOS)はすでに世界中で使用されていた。

このIBMの「後悔」。これは、勝利するため、アメリカとソビエトの参戦を目論んだチャーチルと似ている。
手を借りるぐらいならいい。
しかし、製品で一番コアの技術を第三者に任せては、結局は、すべての「戦利品」は第三者にさらわれると思うべきなのだ。
チャーチルの残した「教訓」は、ビジネスの世界でも同じだったのである。

ならば今、世界のトヨタ自動車のライバルは「フォルクスワーゲン」ではなく、あの「google」ではないだろうか。
これから車は「ソフトウェア」で動く時代がやってくる。
トヨタはこれまでエンジン設計に心血を注いできたが、今度は、異分野である「ソフトウェア」に乗り出さなければならない。

自動運転装置や、GPS誘導機能、世界マップデータなど、なぜ「google」が自動車分野に参入してきているのかを考えれば、
次の自動車業界の覇権を握るのは「ソフトウェア」なんだと気付かされる。
だが、だからと言って、トヨタは「google」に、そのソフトウェア開発を委ねてはならない。
一つ舵取りを間違えれば、いつの日か、トヨタ自動車は、「google」の「下請け」になっているかもしれないからである。
そうなのだ。勝利に第三者の力を不可欠としてはならないのである。

さて最後に、海に突き落とされたチャーチルの、汚名挽回のエピソードも添えておこう。
近年、英国で行なわれた「史上最も偉大な英国人」という人気投票で、チャーチルが圧倒的大差で1位を得たという。
戦後から長い時を経て、今ある世界平和の礎こそ、チャーチルがいたからこそだと思えるようになったのだろう。

チャーチルは「平和」を残し、多くの「名言」を残し、そして多くの「教訓」をも残してくれている。

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