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2018年03月号

vol. 132

企業進化論

~私は自分の会社を「生き残れる会社」に進化させようとしている~

どんな競争相手が現れても、それを駆逐していく強い企業がある。
会社とは、そうやって戦い、勝っていくことによって成長を遂げていくものなのだろう。
だが一方で、誰とも戦わず、生き残ることを主題とする会社がある。

告白をするが、私はダーウィンの「進化論」を、間違って理解をしていた一人である。
太古から存在する生物のすべては、生き残るため、身体の形態や仕組みを「変化」させてきたものだと思っていた。
だが、そうではないらしい。

例えば「キリン」の場合、
キリンは、高い木の上に実る果実を食べようとし、一生懸命に首を伸ばし、届かぬとなれば、背伸びをし、
さらに首を伸ばし、さらに首を伸ばし、さらに首を伸ばし…、
そうしているうちに「どんどんと首が長くなっていった」というのが「進化論」の言う「進化」だと思っていた。
だが、ダーウィンの「進化論」はそうではない。

人間には、背の高い人もいれば、背の低い人もいる。
キリンも同じく、たまたま最初は、普通の首の長さのキリンの集団の中に、少し首の長いキリンもいたとしよう。
そして、たまたま、低いところに実っている果実を、多くの動物で取り合いが始まっていたとしよう。
そして、そのため、「首の短いキリン」が「首の長いキリン」より、餓死する確率が僅かに高くなったとしよう。
そうなると、その「首の短いキリン」は、たまたま、子孫を残せなかったワケである。

一方、僅かに生存率の高かった「首の長いキリン」からは、やはり「首の長いキリン」が産まれる確率が高くなる。
そうして、そのパターンが、数千万年という時を経たとき、
とうとう、キリンの首は「長くなっていた」と言うことである。これがダーウィンの説く「進化論」の正解である。

もっと極端な例で説明してみよう。
地球上に、例えば、血液型がA型の人間にだけ感染するウィルスが出てきたとしよう。
ただし、それほどの殺傷力は持っておらず、せいぜい10,000人に1人ぐらいが、罹患して死んでしまう人も出たとしよう。
ところが、このウィルスの発生から数千万年も経過すると、地球上からA型とAB型の人間がいなくなっていたという顛末だ。
世の中にはB型とO型の人間しかいなくなり、これをもって「人は進化した」と言うのである。

つまりダーウィンの「進化論」は「勝ち残り」ではなく「生き残り」を言わんとしてるのだ。
この微妙な違いが難しい。
そして…、ここから突然、ビジネスの話となるが、
私は、企業とは、突き詰めていけば、「勝ち残り」ではなく「生き残り」が本来持つべき主題ではないかと考え始めた。
やはり「どこが違うんだ」と訝しく思う方もいるかもしれないが、少し聞いて欲しい。

ある大きな交差点に、2件の「大型スーパー」があったとしよう。スーパーは対角で向かい合っている。
そこは住民も多く人の往来も多い。2件のスーパーは、しのぎを削りながらもシェアを分け合っていた。
ところが、ところがだ。あるとき、その交差点の空いていた一角に、なんともう1件、大型のスーパーが進出してきたのである。
こういう光景を、見たことがある人も多いかもしれない。

私には、これがどうしても、信じ難いことなのである。
有体に言えば、3件目のスーパーを出店した企業は「バカじゃないか」としか思えないのである。
多分、以前からある2件のスーパーを潰す気なのだろう。その交差点で、3件のスーパーすべてが生き残ることは到底あり得ない。
淘汰が起こり、どれか1件か2件のスーパーがギブアップし、撤退していく。

これがパチンコ屋であっても、コンビニであっても、クリニックであっても、不動産屋であっても、塾であっても同じだ。
なぜそんな競争激化のエリアに、わざわざ最後に殴り込むのか!?である。私には考えられない。
生存の確率が、極めて低いことを知っての参戦である。

もし仮に、ビジネスにも、前述の「進化論」が適応されるなら、
低い木になる「実」を食べようとする動物が群雄割拠すれば、弱いものは死ぬだけなのだ。
それよりは、数千万年のときをかけようと、高い高い木の上になる実を食べられる「キリン」になればそれで生き残れるのだ。
ならばなぜ、企業は「キリン」を目指さないのか。
理由は2つだ。「今の自分は首が短いから競争を選ぶしかない」と「競争のない場所を選んでいない」からだ。

この世にある、あまたの会社は、否応ナシに「前者」に身を置いている。
そして日々、負けた会社は潰れ、また新しく会社が生まれ、そしてまた潰れ、そしてまた生まれていく。この繰り返しだ。
最終的に、多くの業界では「強者」のみが残り、砂漠のようになったその業界に、もう新しい会社など芽吹きはしない。
ビール業界は大手4社。携帯電話も大手3社。自動車も大手8社。銀行も大手4行。航空会社も2社でシェアを分け合っている。

では「後者」の「競争のない場所」にチャレンジすればいいのだが、多くの企業が「そこ」に行かない理由も明白である。
そこには「果実」が僅かしかないのだ。魚のいない池に、釣り糸を垂れているようなものである。
だからこそ「競争相手」がやってこないのだ。
中国内陸部に生息するパンダは「竹」を食す。あんな栄養価の低い植物を食べて、それでも生きていける「進化」を遂げている。
だが大繁殖はしない。「竹」を奪い合う競争相手もいない代わりに、大パンダ帝国も作れないという理屈だ。

くどいようだが「前者」では必ず「淘汰」があるのだ。生き残りを賭けた壮絶な戦いに勝ち続けるしか生きる道はない。
一方、「後者」にチャレンジしても、無競争の生き残りはできるが、会社を大きくすることは至難と言えるだろう。
後は、多くの経営者が、「前者」と「後者」、どちらのチャレンジを選ぶか。それだけである。

それは会社の舵取りをする経営者個人の性格に、大きく関係するのだろうが、
私の性分は、間違いなく「後者」に挑むタイプだ。競争がキライなワケではないが、要は「前者」は私の性には合わないのだ。
私は、3店目のスーパーを出店する企業を「バカじゃないか」と心から思っているクチだ。
そんな芸のない生き方をするくらいなら、潰れた方がマシだと思う性格なのかもしれない。

だがもし、性に合うとか合わないとかではなく、アナタが今、長く事業を続けることを望んでいる経営者であれば、
アナタは最初から、キリンのような「生き残り」の戦術で、事業スタイルを組み立てるべきだ。
くどいようだが、「勝ち残り」と「生き残り」では、その「戦術」がまったく違っているからだ。

例えば、アナタの経営する会社が、中小企業向けの「経営コンサル会社」を標榜しているならば、
ここではすべての中小企業を顧客にしようと思ってはいけない。
そこには、星の数ほどの競争相手がいるからだ。
ならば例えば、製造部門の効率を上げることに特化したコンサル会社にシフトし、その専門性で他社からの差別化ができれば、
競争相手は極端に少なくなり、淘汰に怯えることもないだろう。

だが間違いなく「果実」は少ないはずだ。全国の中小企業社数は400万社もあるが、製造部門を持つ会社はせいぜい1万社ぐらいだ。
ならば狙う市場規模は、400分の1しかない。これでは、アナタの会社は「大企業」にはなれない。
だが間違いなく、アナタの会社は、キリンの首のように、長く、長く生き残れるはずだ。
そう。ダーウィンはそれを説いていたのだ。

私は「進化論」を「生き残り術」と読み取った。
決して「勝ち残り」ではない。
それは、多くの動物、昆虫や植物が、数億年の中で身に付けた「生存の遺伝子」であり、
江戸時代、多くの外様大名が、改易を免れるために身に付けた「卓越の知恵」であり、
今、多くの老舗企業が選択をした「したたかな戦術」であったと信じている。

「勝ち残り」と「生き残り」は、まったく趣を異としている。
私は創業時、迷うことなく「後者」へのチャレンジを決めた。
それは、企業にも、ダーウィンの「進化論」があてはまると信じていたからだ。

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