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2016年03月号

vol. 108

混ざっていない赤玉

~全数を数えなくても全数が求まる「標本検査」には絶対に守るべきルールがある。「かき混ぜる」である~

中学生のとき、偶然に観た「NHK教育番組」で、どエラいモノを見てしまった。
目からウロコ。コペルニクス的転回。しばらくは口を開けたまま声も出なかった。
今なら何の不思議もない「標本検査」との初めての出会いだった。

ヒマだったのだ。ポテチを食べながら何気なしに「中学3年の数学」を観ていた。
頭の良さそうな数学の先生がいて、2人の真面目そうな男女の中学生がいて、生徒役を勤めていた。
先生の前には、白い玉がワンサカと入ったガラス張りの水槽が置いてある。
そこで先生は、2人の生徒に次のように問いかけた。
「さて、この水槽にある白玉は全部でいくつでしょう」と。

「えー!?分からないよ。5千個ぐらいかな」
「想像もつかないわ。玉を全部出して数えてみるしかないわよ」
「いやいや。実はね、ここに玉を足してみれば、この白玉の総数が分かるんだよ」
「えっ!?玉を足すんですか?」
「そう。じゃあやってみよう」

先生はそう言って、机の下から、赤い玉の入ったコップを取り出した。
「コップの中には、赤い玉が400個入ってる」
「さあ、これを水槽の中に入れて、そしてまんべんなく混ぜてみて」と言った。
さっぱり分からない。これでどうやって白玉がいくつあるのかを言い当てるのだろう。

スコップで5分ほど、2人の生徒は水槽内の白玉と赤玉を、ガシャガシャとかき混ぜた。
そして次に先生は、空になったコップで、無造作に水槽の玉をすくい、
そしてそれをトレイの上にあけ、白玉と赤玉の、両方の玉を数え始めた。
そして驚くべき「解説」を、いや、驚くべき「謎解き」を始めたのである。

「コップですくった中には赤玉が全部で14個あった。白玉は全部で351個あった」
「コップの中の白玉と赤玉の比率が、水槽全体で同じであるならば…」と前置きすると、
「白玉の総数は、351×(400÷14)で求まるんだ」と、先生はニコリと笑った。ウソだろ…。
「白玉の総数は10,029個だ」と言った。おい。ホントかよ。

実際、水槽に入っていた白玉は10,000個だった。遠からずの大正解である。
そう。水槽をひっくり返すことなく、白玉の総数を、ピタリと言い当てたのである。
数えたのは、コップですくった玉だけだ。信じられないの一言だった。
これが、中学生だった私が「標本検査」という奇跡の統計学に出会った瞬間だった。驚いたのなんの。
そしてこの標本検査が、実生活の多くの場面で使われていたことに、また驚いてしまった。

「国会議事堂前に20万人が集結しています」なんて報道があったとしよう。
これも「標本検査」を利用している。まず、集会の全体写真を撮り、区割りし、その1マスの人数を数え、
写真全体のコマ数を掛け算をすれば、総数20万人がいとも簡単にはじき出せるのだ。

「今年、京都を訪れた外国人の数は500万人にも上ります」といった報道も、
何人かの外国人旅行客に、空港などで聞き取りをし、その40%が京都を訪れていたとすれば、
観光目的の入国外国人が1,200万人なら、京都へ訪問した外国人は480万人と、これも簡単に求めることができる。
内閣支持率も、お盆の帰省客数も、選挙の開票速報の当確も、この標本検査が正体だったのだ。

だがこの魔法のような「標本検査」にも、1つだけ、守るべき「絶対的ルール」がある。
それは、白玉と赤玉が、まんべんなく、均一に、偏りなく混ざっていなければならない、ということだ。
「ふーん」と言われそうだが、この「まんべんなく」こそが肝心で、
赤玉が「塊」となった部分をすくってしまっては、母数は、簡単に3倍にも5倍にもなってしまう。
これを、よくよく理解しておいて欲しい。

さてここまでが長い長いプロローグだ。本題に入っていこう。
実はこの標本検査は統計だけで使われているワケではない。我々は知らず知らず、日常的にこれを使っているらしい。
我々個人が、世のすべてのことを知ることは不可能で、ある一部の情報だけを、TVや新聞やインターネットで入手し、
それを等比大に置き換えて、我々は、世の中の「全体像」を推し量っているのである。
つまり、我々の頭の中では常に、この標本検査が実行され、無意識下で固定概念が形成されていく仕組みなのである。
貴方が今持っている社会通念も、貴方が今把握している世界情勢も、貴方が今持っている常識もである。

さて、ところが近年、この標本検査的思考による「概念形成」が、極めて不確かなモノになってきているらしい。
判断の材料となる「検査サンプル」に「偏った赤玉」が見られるようになってきているのだ。
端的に言えば、作為的なサンプルを掴まされ、誰かに、意図された思想に誘導されているフシがあるのだ。

例えば、韓国の従軍慰安婦の抗議デモが、TVで繰り返し繰り返し報道されたなら、
我々は、韓国人のすべてが、日本を敵視しているように思ってしまう。
だが、昨年の韓国人の日本への観光客数は最高値を更新し、韓国の若者は「日本が好きだ」とのたまう。
いったいどっちがホンモンなのだ。
我々は一部だけを見せられ、それがあたかも全体であるかのような「錯覚」に導かれているのだ。
私はこういった報道を見るたび「ああ、赤玉が混ぜられていない…」とつぶやく。
ではなぜ、そんなことになってきたのだろう。

それは、インターネットの普及などによって、誰もが簡単に、無料の情報を手にするようになってきたからである。
だが、そもそも、無料の情報なんてモノは、この世に在りはしない。
情報を発信する側が、その労力に見合う対価(視聴率)を得なければ、市場原理など成立するはずもなく、
「泊まってみたい宿100選」が、その宿から出版元に、マージンが支払われていることは当然であり、
中立を謳う新聞の読者投書欄にさえ、サクラが混じっていることも当然であり、
公正であるべきNHKでさえ、功名心にはやる気鋭のディレクターに「やらせ」をさせてしまう有様である。

もはや無料の情報には「偏った赤玉がある」と決め付けた方がいいだろうし、
そんな無料の情報から作られた全体像(母数)は、もはや「正しくない」と見切った方がいいだろう。
多くの媒体から出る「無料情報」は、とうとう社会に「偏向」という「ヘドロ」を吐き出し始めているのである。

だが、中学時代、標本検査を初めて知ったときの、あのコペルニクス的な感動を思えば、
この標本検査の美しき原理を、このまま「ズルい大人たち」に悪用されてしまうのはあまりにも悲しく、
そこで今日の結論にたどり着く。
「情報はかき混ぜてから使え」。この一言だ。
最後に、中国人の愉快な友人がいるので、彼の勇敢(無謀?)なるエピソードを紹介しよう。

今、日本を訪れる中国人観光客は年間500万人を超える。だが彼らの訪れる先は、皆が同じ場所なのだそうだ。
中国で紹介される日本は、赤玉の偏ったガイドブックばかりだ。だから皆、その情報を見て同じ場所に行くのだ。
だが、勇敢なその彼は、来日のとき、まったくそんな情報を見ず、事前情報ゼロの状態で日本にやってきた。
そして彼は、私や私の周りの日本人に、無遠慮に聞いて回った。「どこに行けば『日本』が見えるのか?」と。
そして彼は、自分で集めた情報を元に、どのガイドブックにも載ってない「日本」を訪ね歩いていた。

無料で得られる情報はもう信じてはいけない。自らが聞き込んだ無色の情報だけを信じるべきなのだ。
誰かから与えられた情報には、もはや何らかの意図が盛られていると、まずは疑って欲しいのだ。
情報発信元の思惑を、いちいち、勘ぐって欲しいのだ。
「かき混ぜる」とはそう言うことだ。
幸い、ビジネスに「ガイドブック」も「マニュアル」も存在しない。
ならば自分でかき混ぜるしかないだろう。貴方が「赤玉」になるのだ。

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 社長 谷洋の独り言ブログ