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2015年7月号

vol. 100

羊のセーター工場

~羊たちは「そうか。自分の毛を売ればいいんだ」と歓声を上げた。悪夢の始まりだった~

いつか枯渇する資源に頼る経営は、必ず破綻をする
それを私は「羊のセーター工場」と呼んでいる。
それは、恐ろしき未来が見えていながら、黙々とそこに向かうヒツジたちの性である。

社員全員が「ヒツジ」の洋服メーカーがあった。
だがこの会社、今、大きな問題を抱えていた。
海外から入ってくる激安品に押され、経営が圧迫し始めていた。

そこで社長肝入りの緊急会議が開かれた。
「苦肉の策がある!」社長がいきなり切り出した。
「我々の毛でセーターを作ろう!」と。
ザワザワと皆が騒ぎ始めた。
「社長、それは禁じ手では…」専務が声を絞り出した。
「じゃ我々に、他に生き延びる道があるのか?」社長も声を絞り出した。
「むむむ…」全員が一斉に下を向いた。

そしてその羊の会社は、自分たちの毛で紡いだセーターを作り始めた。
「オールカシミヤ」の最高級品である。原価はゼロ。
会社は、ドン底から奇跡的なV字回復を遂げた。歓声が上がった。

ところが一年後、社長は再び緊急会議を招集する。
「スマン。家族の毛も集めてきて欲しい」社長の声は震えていた。
「社長、それでは家族モロトモでは…」常務の声も震えていた。
「じゃ我々に、他に生き延びる道があるのか?」社長はどうやら泣いている。
「ううう…」皆も涙を流し始めた。

これが、いつかは枯渇する資源に頼ったビジネスの末路である。

分かりやすい例は、アラブ中東の産油国だ。石油はいつか枯渇する。
これといった産業のないアラブの国々が、油田を発見し大富豪となった。
王族をはじめとする特権階級のお歴々は、豪奢な暮らしを覚え、
次の国の礎となる産業を育てることもなく、
ただただ、石油が生み出す「蕩尽の快楽」にドップリと浸っていくのである。
50年先の、石油枯渇の不安など、誰も怖くて語ろうともしない。

「羊のセーター工場」は我々の身近にもある。

沖縄の観光資源は、日ごとに色褪せていっている。
澄み切った海とサンゴ礁は、観光客が増えるたび、皮肉にも削られていく。
沖縄の観光資源は、いつかは枯渇する運命なのかもしれない。
ならば沖縄は、観光産業に代わる、次の何かを見つけなければならないはずだ。
同様に、有馬温泉の源泉は、もう湯量をこれ以上は望めないらしい。
有馬も、温泉に代わる次の何かを見つけなければならないのだ。
だが、沖縄も有馬も、観光資源の枯渇を止められない。
いや、誰も怖くて言い出せないのである。

「羊のセーター工場」は何も自然界の資源の枯渇だけではない。

例えば、人気作家の著書を、独占的に刷ってきた出版社もそうだろう。
司馬遼太郎も、長谷川町子も、吉川英治も、手塚治虫も、
すべて故人となった偉大なこの作家たちに、もう新しい作品を望む術はない。
出版社にとっては、これまでに書かれた作品のみが有限の経営資源であり、
出し尽くした時点で、すでにその経営資源は、枯渇をしてしまっているのだ。
たまに見る「未発表の書きかけ原稿が見つかった」など、断末魔の叫びに過ぎない。

人気ミュージシャンの版権を、独占してきたレコード会社もそうだろう。
ビートルズのレコードレーベルがまさにいい例だ。
ビートルズが解散すれば、そのレーベルが無くなるのは必然だったはずだ。
それなど、みんなが分かっていたことなのだ。

「羊のセーター工場」は何も目に見える資源の枯渇だけではない。

大阪に「伝統」だけを頼りに経営を続ける由緒ある女子大がある。
他の多くの女子の伝統校が、男女共学に舵を切るなりし、何とか生きる道を探る中、
その女子大だけは「伝統」という、いつかは減衰していく資源にのみしがみつき、
今まさに、その女子大の経営は、崖っぷちに立たされている。

「親の七光り」を唯一の頼りにデビューをする有名芸能人の二世たち。
親の築いた「地盤」だけを頼りに議員バッジをつける世襲政治家の二世たち。
「老舗」というブランドだけを頼りに胡坐をかいて大店を構える高級料亭も。

これら「伝統」や「親の七光り」や「地盤」や「老舗」といったファクターも、
ただ何もしなければ、必ずや減衰していく経営資源なのである。
そこを、ただただ食い潰して行けば、その先は、逃れようのない惨めな末路しかない。
だが、それを口にするのはタブーのようだ。

この「羊のセーター工場」には2つの特性がある。
それは「誰もが、その経営資源が枯渇することを知っている」ということであり、
「誰もが、それを怖くて口にしない」という2つである。
自分の胸の柔らかな毛を刈り、編みあがった暖かなカシミヤセーターに顔を埋め、
末路に目をつぶり、死の迫りくることを頭から消し去り、
ほのかな笑みを湛え、今だけの、刹那な幸福に浸る、甘い媚薬のような境地なのだ。
これこそが「羊のセーター工場」である。

儚くも散った「羊のセーター工場」。
もし羊たちが「化繊」を研究開発したならば、会社は存続できはずだ。
もし羊たちが「畜産」に挑戦していたならば、会社は大きく育っていったはずだ。
だが、羊たちは生き残れなかった。
それはなぜなのか。

「羊のセーター工場」の正体は、経営資源が枯渇することの恐怖ではない。
「羊のセーター工場」の正体は、その末路があまりにも恐ろしく、
誰一人、その恐ろしき未来を、正視しようとしないこと自体の恐怖なのである。

誰かが「まずいよ。このままじゃ」と勇気を振り絞ってそれを口にしていれば、
もしかして、万が一、奇跡は起こったのかもしれない。
だが、それができないのが、羊たちの悲しい「性」なのである。

いつか枯渇するであろう資源を使ったビジネスは、
未来を憂慮する目を、閉ざしてしまう効果を持っている。

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 社長 谷洋の独り言ブログ