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2017年08月号

vol. 125

独裁者リー・クアンユ

~反対する勢力は粛清するのみ。それぐらいの独裁者でなければ荒廃した国は立て直せない~

古くはソビエトのスターリン。キューバのカストロ。今なら北朝鮮のキム・ジョンウン。シリアのアサド。
我々日本人は、どうも「独裁者」と聞くだけで、それを毛虫のように忌み嫌うところがある。
だがもしその国の民衆が、日本よりずっと幸せだと思ってるなら、あなたはどうするだろう。

先に結論だが、私はときに「独裁者でしか『幸せ』をもたらせない場合がある」と思っている一人である。
それは荒廃した国を立て直すとき、そして新たな国を興すとき、そして国を変えるときだ。
そしてそれは企業にも言える。
悪化した経営をV字回復させるとき、そして会社を興すとき、そしてこれまでの殻をブチ破るときだ。
これができるのは「独裁者」しかいない。

まず、地球上には、信じられないほど多くの「独裁国家」があるのをご存知だろうか。
その中には、もちろん北朝鮮のように、民主化運動の弾圧や、言論統制など、悪しき「専横政治」の国もあるのだが、
実は、国民から多くの支持を受け、国民の多くが「幸せ」を口にする「独裁国家」は、意外に多い。
サウジアラビア、ウズベキスタン、カタール、カメルーンなどがそうだ。一党独裁の中国もそこに入るかもしれない。
そしてその中でも、圧倒的に国民の支持を得る小さな幸せの国。それが「独裁国家-シンガポール」である。

シンガポールは、今や世界随一の金融拠点であり、シンガポール港や、チャンギ国際空港は、世界一の、人と物流のハブ拠点である。
この国は「世界で一番仕事をしやすい国」と評される経済大国で、1人当りの国民総生産は日本をも上回り、世界堂々の3位だ。
国土面積は、東京23区ほどしかない。人口もたったの500万人程度だ。
なぜそんな小さな国が?と思われるかもしれないが、それをやってのけたのが、独裁者「リー・クアンユ」その人である。
2015年3月に亡くなった彼の名は、世界中で、あまりも有名だ。

リー・クアンユの生い立ち、そして、このシンガポールという国の成り立ちについてはここでは割愛する。
私が書きたいのは、リー・クアンユが、我々日本人が忌み嫌う、専横的な「独裁者」だったということだ。
リー・クアンユにとって「法律」などは後回し。彼の発した言葉が、その瞬間、この国の「法律」となっていくのだ。
この国は、リー・クアンユが決めたままに統治され、そして国民は、それがどれほど横暴だろうと、黙って受け入れていったのである。
いわんや、シンガポールは、世界から「明るい北朝鮮」と呼ばれている。

リー・クアンユは、1965年に、シンガポールの初代首相に就任したのだが、そのとき彼は、
天然資源どころか、水さえないこの島国を見渡し、彼は「民主主義ではこの国は豊かにはなり得ない」と決心したと語っている。
要は、少しばかり強引でないと、国の発した方針も、ピクリとも前には進まない、と判断をしたそうだ。
彼は「民主主義には必ず少数派が出てくるものだ。だが頂上に登るには、その声に一切耳を貸してはならない」とまで言い切った。
そして「私の決めたことに反対するモノは、刑罰を受けるか、この国から出て行ってもらう」と言い切った。

彼のやった「専横的な政策」をいくつかあげてみよう。
まず、この国を国際都市にするには「公用語は英語」とし、華僑70%のこの国で「中国語」を禁止した。言語統制である。
むろんリー・クアンユの独断だ。これに議会の議論など1秒も使わない。
そして、この国が世界から必要とされる国になるには「人を作らねば」と、特に教育に力を入れるのだが、
「貧乏人は子供は2人まで」という法律を発布した。教育に金をかけられない低所得層に「出生制限」をかけたのである。バカを作るなと。
信じられない。なんという非人道的な政策だろうか。むろん世界中から非難の声が上がった。だがこれにも国民は従ってゆく。

さらに、シンガポールは現在、世界でも有数の観光大国である。訪れた方も多かろう。
リー・クアンユは、資源のないこの国には、「流通と観光が外貨を運んでくる」と唱え、
国をあげての「観光事業の優遇政策」を国民に指示をした。
ご存知の方も多いはずだ。シンガポールで道でツバを吐けば<2000$>の罰金だ。戸外でガムやタバコも禁止。ゴミのポイ捨ては懲役刑だ。
夜の10時からは「禁酒令」が出る。夜中に酔っ払っていいのは外国人だけ。国民は静粛を訓とする。
挙句には、空港に着いた観光客が、街中まで渋滞に巻き込まれないよう、国民の自家用車の幹線への乗り入れも禁止してしまうのだ。
このように、リー・クアンユの「専横政治」は挙げればキリがない。

ではなぜ、こんな横暴とも思える政策を、国民が黙って受け入れてゆくのだろう。
むろん、すべてに納得をしてるワケではないし、刑罰が怖くて抑圧されているワケでもなく、理念に心から賛同しているワケでもない。
それは唯一、リー・クアンユの横暴は、「私利私欲」ではないことを国民皆が知っているからなのだ。これに尽きると言う。
どこかの国の誰かのように、私利と権力欲のために、政治をしているのではなく、
この「シンガポール」という国と、その国民を「幸せ」に導こうとしたいがためだからなのだ。

また同時に、リー・クアンユは「民主主義」の弊害をも知っていた。
その弊害を伴った国作りでは、彼の目指す建国には、時がかかり過ぎてしまうと、腹をくくったのだ。
フランス革命後、民衆だけの政治が破綻し、ナポレオンの統治を待ったフランスも然り、
最近でも「アラブの春」の後に起こった混乱を見ると、「統治のない自由」ほど、不条理を生むものはない、と知っていたのだ。
リー・クアンユはそれを国民に懇々と説き、「国の民たちよ、私に付いて来てくれ」と訴え、そして国民はそれを呑んだのである。

「独裁政権」は、一見、悪しきものと思われがちだ。
だがもし、リー・クアンユのように「私利私欲」のない「独裁政権」が成立するならば、
これほど頂上への「近道」はないのかもしれない。
世界の多くの政治家が、このリー・クアンユを「お手本」とすべきは、ここにあるようだ。
今、シンガポールは「世界の住みやすい都市ランキング」の1位を譲ろうとはしない。いやはや、すごい国を作ったものである。

日本の歴代の総理大臣の一人が、こんな事を言っている。、
「民主主義の政治は、最大限に尊重されなければならない。だが国が大きく飛躍すべきとき、
民主的と言えない専横な政治でそれをやり遂げた『リー・クアンユ』に、とてつもない羨望を感じる」と。

大統領制を採用している国は、その為政者に最大限の権力を集中させている。
お隣の韓国が大統領制なのは、北朝鮮との有事の際、悠長に国会の論議を待つことなく、
大統領だけの権限で次々と命令を下せる、素早い対応が必要だからだ。大統領への権力の集中は、それゆえに国民に容認されている。
だがその絶大な権力は、一つ思い違いをすれば十分に、国を私物化できてしまう恐ろしいほどの権力なのだ。
リー・クアンユは、その「恐ろしいほどの絶対権力」を、自分のために使わなかった世界で最も清廉な「独裁者」だったのだ。

さて、私はこのリー・クアンユを見て思うのは、
ビジネスにおいても、企業がある高いレベルの目標を達成させるには、ときに「独裁者」が必要だということだ。
それは、悪化した経営をV字回復させるとき、そして会社を興すとき、そしてこれまでの殻をブチ破るときだ。
そんな有事の際に会議などは不要だ。役員会なんかも必要ない。反対を唱う少数派など、会社から放逐してしまえばいいのだ。
そこには、1人の天才、1人の情熱家、1人の強烈なリーダーシップ、1人の「独裁者」が、会社と社員を、強引なまでに引っ張り上げるのだ。
これが有事の折の、唯一無二の手段だと思っている。

清廉な独裁者には、パナの松下幸之助、西武の堤康次郎、アップルのスティーブ・ジョブス、出光興産の出光佐三、ダイエーの中内功、
阪急電鉄の小林一三、ソフトバンクの孫正義、ユニクロの柳井正、政治家では元大阪府知事の橋下徹など、名前をあげればキリがない。
彼らは強烈なカリスマを持った一種の「独裁者」であり、一代で、会社をその業界のトップに押し上げた猛者達だ。
そして彼らが、その「独裁政権」を「国民」に許されたのは、彼らがまさしく「清廉たる梟雄」であったからだと思う。

日本人は戦後教育で「民主主義こそ美しき」を脳ミソに叩き込まされてしまったオメデタい国民だ。
だが、その民主主義の可決方法の「多数決」とは、
反対する少数派の意見などは見捨て、多数派の意見でものごとを決めてしまうという、何とも少数派には冷たいシステムだ。
だが、そうでもしなければ、ものごとは一切、前には進まないのだ。少数派を黙殺するしかないのだ。
そういう意味では、リー・クアンユはいつも、心の中で「多数決」をしていたのかしれない。

企業は常時、反目する複数の意見を包含している。それゆえ企業がある先鋭的な目標に邁進するには、超絶たるパワーが必要なのだ。
そのときとは、くどいようだが、悪化した経営をV字回復させるとき、そして会社を興すとき、そしてこれまでの殻をブチ破るときだ。
このときに限っては、リーダーは「独裁者」でなければならないことを認めるべきだ。
スローガンばかりを唱え、永く殻を破れぬ会社があるが、その会社は、私利私欲を持たぬ「独裁者」の出現を待つしか道はないと思う。
「独裁者」は、毛虫ばかりではなさそうだ。

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