45歳で「大声」を出したらどうなるか
~人生に生きた証を残すには「大声」もときにアリだ。いい歳をした大人の確信犯的「大声」とは~
一生涯、大声を出さない御仁もいる。従順な人生だ。
だがもし、いい歳をして「大声」を発したらどうなるのだろう。
きっと何かをフイにするのかもしれないが、私はそれを「生きた証」だと認めたい。
大声をあげて「命」が救われた例は少なくないようだ。
あるコラムで読んだ、命を「大声」で救われた、ある高校生の話から始めよう。
とあるエリートの夫婦がいた。そしてその夫婦は、自分の子にも、同じエリートの道を歩ませようと決めていた。
特に母親は、心血をそこに注ぎ、学歴こそが人生の価値と決め付け、子供に毎日、それを「愛」として送り続けた。
ところがある日、東京でも屈指の進学校に通い、それまで一度も親に口応えをしたこともなく、
学業では親の期待を一度も外すことのなかった息子が、あろうことか「大声」を出したのである。
ある日突然に。ある日突然にである。
模試の結果が配られた日、順位が10番も下り、「何やってるの」と、母親が血相を変えて叱ったことがあったそうだ。
そしてその日は、息子はいつも通りに2階に上がり、自分の部屋で勉強をしているものだと思っていた。
が、その夜、就寝の準備をしていた夫婦の部屋に、息子がノソリと現れた。
手には父親のゴルフクラブが握られている。
「どうしたのか」と問い質すと、息子はしばらく黙ったあと、顔を真っ赤に硬直させ、「ウオーッ」と大声で叫び始めた。
そして、家の中を走り回り、クラブを振り回し窓を割り、食器を蹴散らし、本棚をひっくり返し、カーテンを引き裂いた。
夫婦は最初、何が起こったのか理解できなかったのだが、2人で、泣きながら息子を押さえつけた。
母親はそのときに思ったそうだ。「息子は、もうはるかに自分より力が強くなっていたんだ」と。
この日が恐らく、息子の「命」が救われた日だったのだろう。息子は壊れかけていた。その死地から帰還してきたのだ。
母親は言う。「あのとき、息子が大声を出さなかったなら、多分いま、息子は生きていなかったと思う」と。
息子はその後、高校を辞め、今は愛知県にある、小さな「木工工房」に、住み込みで働いていると言う。
そして今、その「木工工房」に入った息子に、夫婦でときどき会いにも行くのだそうだが、
当時の親子同士より、今がどれだけ幸せかを、つくづくと感じるそうである。
親の期待に応えようと「いい子でなければならない」を演じた子供が、壊れる寸前に「大声」を出す例は少なくないらしい。
コラムには「ガマンをするな」「いいから大声を出しなさい」と書いてあった。
だがこれは、私が「それこそが生きた証」と認める「大声」でない。
これは、突き詰めれば親が悪いのだが、高校生にもなって、自我の芽生えにさえ気付かない子供の「幼さ」が原因だ。
私はただ「ふーん」と思うだけである。
昔々、我々が若かりし頃の「大声」は、こんな形ではなかったように思う。
もし、親の期待が重過ぎたなら、その開放には、簡単な話、「グレる」のが一番てっとり早かった。不良になってやるのだ。
悪い仲間とツルみ、タバコを吸い、学校をサボり、ケンカをし、万引きをし、大人のたまり場に顔を突っ込んだ。
「グレてやる」と親を困らせるのが目的なのだが、同時に、そこで「自我」に目覚めたものである。
確かにこれも幼き行動ではあるのだが、これは自我に目覚めた「確信犯的レジスタンス」なのだ。大違いだろう。
さて今回、是非とも紹介をしたい話は、その「確信犯」の話である。
主人公は、45歳のいい歳をした中年男。この話は、その男の「生きた証」であり、その男の「遅過ぎた青春」の話である。
この男の話を聞いた友人たちはまず、「バカだなぁ。ガマンしろよ」と思わず言ってしまったそうだが、
実のところは皆、心の中では「快哉」を叫んだそうだ。
彼は、学生時代をフツーに過ごし、会社の中でもフツーに頑張り、家庭も友人付き合いもフツーにうまくやっていた。
社会に存在する、たいていの不条理も、十分に呑み込む力を持っていた。
だがある日、「大声」を出したのだ。
だが、いわゆる「プッツン」のそれではない。「魔」が指したワケでもない。心ならず出してしまった「大声」でもなかったようだ。
「大声を出さねばならぬ」と決めて、そして出したらしい。ここが面白い。
ある日、彼の部下が急逝したそうだ。急性心筋梗塞にやられた。
心情的には当然、辛かったのだが、取引先への通知や、部下の残した仕事の割振りなど、しなければならないことは山ほどあった。
そんなとき、その部下の身辺を整理していた経理が、その部下の経理的な「不正」を見つけたらしい。
その不正は意図的だと断定されてもおかしくない内容だった。経費を誤魔化していたのだ。額は数十万円にも登った。
当然、企業であるわけだから、それについての始末はいる。退職金から、遺族の同意の上で、ちゃんとその分が差っ引かれた。
そして上司であるフツーの彼も、管理責任のペナルティを、納得の上で受け入れた。
告別式も終わり、やっと周辺が落ち着いた頃となり、その部下の家族が会社を訪れた。
部下の奥さん、そしてその奥さんを支えるように、高校生の息子も一緒に会社にやってきた。
ダンナが長年勤めた会社だ。深々とお礼を述べ、会社からも永年の慰労を伝えられ、それで済ませて帰れば良かったのだ。
だが会社は、何を思ったか、そこで部下の家族に向かって、不正経理の「糾弾」をしたというのだ。
人事部長は後日、「面罵したワケじゃない」と弁解をしているが、
要は会社は、高校生の息子に「キミのお父さんは会社で不正を働いた。恥ずべき行為だ」と、正義ヅラで「ツバ」を吐いたのだ。
上司だった45歳のフツーの彼は、それを聞いた瞬間、脱兎のごとく人事部に飛び込み、その人事部長に向かって言った。
「彼の息子は生涯、自分の父親を恥じて生きていくのですか?」と。
そして大声で「バカかオマエは!」と怒鳴ったのだ。
当然、会社では言ってはならない言葉だ。彼はそれぐらいの常識も分別も持っている。だがそれでも「大声」を出した。
周りは彼を羽交い絞めにし、部屋の外に引きずり出し、その場をとりなしたが、
彼のしたことは、家の中で窓を割り、食器を蹴散らし、本棚をひっくり返し、カーテンを引き裂いたようなモノだったのだろう。
彼はその後、当り前のように冷や飯を食わされた。
そのフツーの彼は、生まれて45年間、従順に、モノ音を立てず、穏便のカゴの中で生きてきたカナリヤのような男だった。
それが、それまで築き上げてきた「人格」をフイにする振る舞いをしたのである。
ましてや「大声を出そう」と決めてから、「大声」を出したという、立派な「確信犯」なのだ。
「なぜ大声を出したのか」と問う友人達にそのフツーの彼は言った。
「言わないと、死ぬ間際に後悔すると思った」と。
「もう一人の自分が『言え』と命じたんだ」と。
45年間に溜まったガスが、気付かぬうちにパンパンに膨れ、それがついに破裂したというワケではなさそうだ。
これは、沈着かつ冷静に、彼の試みた、人生初のレジスタンスだったのだろう。
彼の心の中には、もう一人の「不良の彼」が棲んでいたのだろう。これは、45歳の「遅過ぎた青春」だったのだろうか。
長年、愛用していたセーターがあったとしよう。
そこに「毛玉」がつく。取っても取っても「毛玉」がつく。45年間も着てればそうなるだろう。
愛着あるセーターだ。脱ぎ捨てるには勇気がいる。
だが「えーい」と、そのセーターを剥ぎ取るのも、長い人生に、一度くらいはあってもバチは当たらんだろう。
「毛玉」を取り続ける従順さも、時にそれが「生涯の後悔の一事」となるのなら、思い切ってセーターを脱ぎ捨てるべきなのだ。
青春とは何かをフイにすることだと私は思っている。
歳を取れば取るほど、築き上げたモノをフイにするのはイヤだろう。
だが死ぬ瞬間、自分の人生の総決算に、そこに「青春」のカケラがなければ、人生の価値は半減すると私は思うのだ。
「ブチ切れる」はバカのすることだ。
だが、確信犯的「大声」は、これこそがその「青春のほとばしり」と信じたい。
どうだろう。アリだろうか。45歳の遅過ぎる青春は。