ド根性営業と50円玉営業
~知恵のないヤツは根性で売るしかない。一刀両断にこう断じる上司は果たして「パワハラ上司」なのか~
私の古い知人に「鬼の営業」と呼ばれる男がいる。
彼は自分の部下に「根性で売るか」「知恵で売るか」を選ばせることにしている。
今回、「知恵のないヤツは根性で売るしかない」と言う彼の「鉄の掟」を紹介する。
「ド根性」を前面に打ち出した「体育会系営業」の企業は少なくない。存外、一部上場企業にもこういった会社は多い。
テレアポ、飛び込み、ひつこい営業は何でもやる。
当然、その厳しい境遇に耐えかねて、心折れ、辞めていく社員も多くなる。
世間は最近、そういった会社を「ブラック企業」と称したりもする。
だが「取れるまで帰って来るな」という、エゲつない営業をする会社など、昔はいくらでもあった。
業績が悪いと罵声を浴びせ、会議で吊るし上げを行う会社など、昔から山ほどもあった。
だが「非道(ブラック)な会社」と「厳しい会社」とは本質が違っている。そこを見誤ってはいけない。
私の知人であるその「鬼の営業」は、むろん、後者の「厳しい会社」の方でのし上がった「鬼」である。
彼は19歳の高校の新卒で、今も在籍する「大手自動車ディーラー」に就職し、1年目からメキメキと頭角を現した。
入社3年目には、すでにそのディーラー内で、トップ営業に昇りつめ、
60歳を超えた今も、そこで取締役営業本部長を拝命する彼の営業哲学は、「営業は執念や」と言って憚らない。
むろん彼は、無類のアイデアマンでもあったが、仕事への基本スタイルにブレはない。「ド根性」である。
そして最近の、何でもカンでも「パワハラ」のレッテルを貼りたがる社会風潮に「甘すぎる」と嘆息を漏らす。
その通り。まったく同感である。私もその「鬼の営業」の嘆息に大いに共感を覚えるクチであり、
その前時代的で、軍人のような「鬼の営業」の、私は、数少ない「シンパ」の一人なのだ。
確かに「契約が取れるまで帰って来るな」なんてセリフは、軍隊調であり、ときに若い営業マンの心を折るだろう。
だが知恵も絞らず、工夫もせずに、単に「売れませんでした」を報告する営業マンの、果たしてどこに「救い」があるのだろう。
今回は、この「鬼の営業」の部下だった2人の、たいへん興味深い逸話を紹介したい。
今の行き過ぎた「パワハラ狩り」の社会風潮に、毅然と、モノ申したいのだ。
まず部下A氏の逸話から。
A氏も、その「鬼」の下で、アポなし飛び込み営業をさせらされていた。
車の話を聞いてくれる客の多くは男性陣だ。だから昼間、どの家を訪ねても「主人はいません」と門前払いされる。
だが昼間にボーッとしているヒマはない。鬼がそれを許さないのだ。昼間は法人を訪ねさせるのだが、そこでも誰も相手にしてくれない。
そして、手ブラで帰ってきたA氏に、「鬼」は決って「罵声」を浴びせる。
「能なし」「死ね」「土下座でもしてこい」と、今なら確実にパワハラで訴えられそうな単語のオンパレードだ。
A氏から見せてもらったのは、「鬼」が烈火に怒鳴り、スチ-ル机を鉄拳で凹ませた跡だった。これはまさしく旧日本軍だ。
さて、そんな辛い日々が続くA氏だったが、ある日のことだ。
その日も、多くの家々を、3駅分ぐらい、順々にアポなしでインターホンを押して訪ね歩いていた。
当然のように、100軒中、100軒から門前払いを食らう。名刺さえ置かせてもえらない。扉さえ開けてくれないのだ。
夜も更け、A氏は公園のベンチにポツンと座っていた。このままでは社に帰れない。「能ナシ」呼ばわりされるのがオチだ。
今の自分の境遇を恨み、心も靴底も擦り切れ、とにかく、この仕事からどうやって逃げられるかだけを考え始めていた。
そんなときフッと、先ほど回った一軒に「主人が帰ってくる時間にまた出直してきて」と追い返された家があった。
「アレって単なる断りの方便だよな」と分かってはいたが、
「手ブラで帰ってきたのか!」と「鬼」の形相をする「鬼」の顔を思い浮かべたら、
一縷の望みが残すその家に、最後の最後、本当に最後の力を振り絞り、訪ねてみることにした。
ダメなら会社を辞めよう。A氏はそう思い始めていた。
だがなんと、その家、ご主人が帰宅しており、思わず、家に上げてくれたのだ。
「こんな遅い時間まで営業に回っているのか」と問われ「ハイ。手ブラじゃ社に帰れないので…」と正直に答えた。
ご主人はそれを聞き「そうか。じゃあ検討してあげよう」と言って、車の話をし始めたと言う。
彼は、嬉しくて嬉しくて、その家を後にした。
社に帰ると「鬼」が待っていた。「そうか。それ、取り切れよ」と「鬼」の一言。そのときの「鬼」の顔は「鬼」ではなかったそうだ。
結果云々ではない。残った力を振り絞り、その1軒を訪ねた「ド根性」を認めてもらえたのである。
A氏は今、そのディーラーの別店舗の所長になっている。私とA氏とは、昔からよく飲みにも行く間柄だが、彼曰く、
「もしあのとき、鬼の上司がいなかったら、私は間違いなく、その家を訪ねてはいなかった」と言う。
「そう考えると、営業にはやはり『ド根性』っているんでしょうね」と語る。
今、彼は「鬼」ではないが、この自分のこのときの逸話を、自分の部下である若い営業マンに聞かせているそうだ。
さてもう一人。同じく「鬼」の部下だったB氏の逸話も紹介しよう。
彼は「超アイデアマン」であり、実践者だった。営業に、自分で考えた数々の工夫を取り入れた。
彼の試みた数々の営業アイテムを、ここで挙げればキリがないのだが、
その中で、今でも、このディーラーの「最多安打記録」として残っている一策がある。それが「50円玉営業」だ。
彼は最初、手書きでチラシを作ったそうだ。会社の青焼き機で、チラシを焼きまくり、ポスティングをしていった。
だが、それでは僅かな効果さえも出ないと悟るや、紙の色を変えたり、キャッチコピーを凝りに凝ったり、
そして、それでも効果が出ないと見れば、B氏はナント、チラシに「50円玉」をセロハンテープで貼り、それをポスティングしていったのだ。
そして「このチラシで、5円(ご縁)を下さい。え?足りない?じゃあ50円にしますよ」と書いたところ、これが当たった。
次々と、B氏宛に電話が入ってきたそうだ。彼がその年、全国ナンバーワンの営業成績で表彰を受けることになった話は有名である。
今、この「50円玉貼り」は景品法で禁じられているが、彼の工夫はこの1つだけではない。とにかく、次々とトライするのだ。
B氏は言う。「私は『鬼』が怖かったんです。怒られるのがイヤだったんです。だから知恵を使うしかなかったんです」と。
そしてその通り、B氏は、一度たりとも「鬼」から、怒鳴られたことはなかったそうだ。
それは、時に、彼のアイデアが不発であったときも、やはり怒鳴られることはなかったそうだ。
今、B氏はディーラーを辞め、独立をし、車の自賠責保険の代理店を経営している。
むろん、元上司の「鬼」とも、A氏とも昵懇の仲であり、飲みに行けば、3人で昔話に花が咲くそうだ。
「鬼」は言う。「工夫をしないヤツは体を使え」と。「怒鳴られるのがイヤなら頭を使え」と。
その伝説の「鬼」の営業部長は、入社してきた若い社員に「根性か」「知恵か」のどちらかを選ばせる。
根性を選んだヤツには「手ブラで帰ってきたらタダじゃおかん」とスゴみ、
工夫を選んだヤツには「結果を黙って待つ。それでも結果が出なければ、ド根性部屋に移す」と言う。
昨今、どこの世界でも「弱者」を取り上げる。パワハラに心を折られ、競争社会に残れなかった「優しい人」を取り上げる。
長時間の残業をさせられ、それが原因で心の病になったりすれば、「それ見たことか!」と世間はその企業を槍玉に挙げる。
今のご時勢、弱者に優しくない企業は「ブラック企業」と称され、若い社員に罵声を浴びせる上司は「パワハラ上司」との悪名も高い。
だが、ホントにそうなのだろうか。
「パワハラ」が非道なら、「キミはそれを言わせない何かにトライをしたのか」と問いたい。営業に「甘い道」などない。
怒鳴られるのがイヤなら知恵を出すべきだ。それがイヤなら、辞めるしかないだろう。
若い頃、「パワハラ」をイヤと言うほど浴びせられたA氏は今、しみじみと語る。
「人間ってね、怒鳴られないと、なかなか本気にはならんのですよ」と。
最後に、私の最近のこぼれ話も書いてみよう。
私と名刺を交換したことのある2社の証券マンがいた。そして2人、同じ時期に、私の携帯に営業電話をしてきたことがある。
私は激怒した。「今は就業時間じゃないか。アンタの事情で、私の個人携帯に、営業の電話をしてくるとは何事か!」と。
そうしたら、ベテランの営業マンは2度と電話をしてこなくなった。「くだらんヤツ」と、私は腹の中で毒づいた。
だがもう1人の営業マン、彼は2年目の若い営業マンだったが、次は夜に、そして次は昼休みにと、懲りもせずに電話をかけてきた。
私は、とうとう根負けをした。その若い彼は、私からあれほど怒鳴られても、心を奮い立たせ、ドキドキしながらも電話をかけてきたのだ。
私は、その若い彼が気に入った。そして彼の薦める「証券」を買うことにした。
そう。私は彼の「ド根性」を買ったのである。