やってみたかった流行というマーケティング
~今年は何が流行るのだろう。一般人はそう考える。だが奴らは「今年は何を流行らそうか」と考える~
10年ほども前に、自らの考えを大きく変えることになったある体験をお話ししよう。
知人の広告代理店の人に「今年は何が流行りますか」と尋ねたら「フンッ」と笑われ、
「谷さん、流行は私たちが作ってるんですよ」と言われた。カチーンと来た。
この広告代理店のマネージャーのセリフに、私は露骨にイヤな顔をしたことを今でも覚えている。
そのセリフがいかにも傲慢と感じたからなのだが、
同時に「流行とは作られるモンじゃないわい!」と、そう信じて込んでいたからだ。
だがそれからの数年間で、これら広告業界の面々と仕事の機会を持つたび、とんでもない現実を見ることになった。
あるとき、渋谷の不思議な女性ばかりの会社を紹介された。大転換はここから始まる。
まずこの会社で初めに驚いたのが、オフィス内が、女子高校生グッズで埋め尽くされていたことだった。何だこれ…。
そしてオフィス内を、制服を着た女子高校生が我がモノ顔で闊歩しているのだ。何だこれ…。
そして社員たちは、その女子高校生たちと、就業中でありながらペチャクチャとおしゃべりをしているのだ。何だこれ…。
私はどうやら来てはいけない「アリスの国」に来てしまったようだ。
この会社の業態は「マーケットリサーチ」だ。その看板には何の変哲もない。
だがこの会社、マーケティングの世界では極めてレアで、ある得意技を以って業界のトップを行くという。
この会社、いったい何をしている会社なのか。説明を始めよう。
マーケットリサーチは、市場がどういった商品を欲しがっているかを調査するのが主たる業務である。
また、完成した商品の評価を集め、その結果から、商品をどんどんと洗練をしていくのも業務の1つだ。
さて、そんな評価集めに「集合型モニター調査」という手法がある。女性向け商品によく使われる。
数人の女性に、会議室に集まってもらい、そこで商品を直に使ってもらう。
そこで言いたい放題の会話をしてもらうのだ。女性同士だ。放っておいてもおしゃべりが始まっていく。
商品への苦言、他社との比較、いくらなら買うかなど、歯に衣着せぬ意見が飛び交うのが常である。
そしてメーカーは、その言いたい放題の意見から、ユーザーの本音を拾い、改善点を具体的に探り当てていく。
この渋谷の女性ばかりの会社も、表向きは、この「集合型モニター調査」の会社だそうだ。
ただし、モニターする商品は女子高校生向けの「コスメ」に限定。リサーチターゲットも「女子高校生」に限定だ。
これだけなら、単なるニッチを追い求めた普通のベンチャー企業だろうが、どうもヘンなのだ。
そのモニターの会議室を見せてもらったとき、通常の「集合型モニター調査」とは違う、まったく異質なモノを感じたのだ。
ナント、司会者がいないのだ。そして誰も書記などもしていない。そして誰一人、女子高校生の意見など聞いていないのだ。
何なんだこれは…。
モニター会議室には、ファッション雑誌、お菓子や飲み物、CDやDVD、そして新しいコスメが山のように置いてある。
女子高校生たちは放課後と言わず、真っ昼間でも友だち連れでこの部屋にやってきて、ベチャベチャとおしゃべりをする。
コスメはどれだけ使ってもタダ。自分のためにでも、友人のためにでも、いくらでも持って帰れる仕組みらしい。
女子高校生たちは、キャッキャキャッキャと騒ぎながら、次々と新しいコスメを試していく。
私は驚いて「いったい何なんですかここは」と経営者の女性に問い質した。
すると彼女はニッコリと微笑みながらこう答えた。「私たち、流行を作っているんです」と。
えっ…!
舞台裏はこうなっている。
ここでは、女子高校生にコスメを無料で使わせる。そして自由に持って帰らせ、自由に周囲に配らせる。
女子高校生は、まるでウワサ話を広めるように、気に入ったコスメ商品を、口コミだけで宣伝し広めていくのだ。
会社は、特定の商品を薦めたりもしないし、友だちに広めてくれとも言わない。
良い商品であれば、女子高生たちが、まるで油の上を炎が燃え広がるように、勝手に喧伝してくれることを確信しているのだ。
ナント、この会社は、女子高校生を「たむろ」させるスペシャリスト企業だったのだ。
そして「流行」は、この会議室から日本中に広がっていたのである。いや驚いた。
いつぞやの、広告代理店のマネージャーのセリフは、傲慢でも虚勢でもウソではなかったのだ。
世の中には「流行の仕掛け人」たる人物が、ちゃんといたのである。
そうなれば世の中、「え!これも?」「ん?あれも?」と、その舞台裏が次々と見え始める。
これまで、自然に流行していたと思い込んでいた商品の多くが、実は「作られた流行」によるものだった。
こんな会社にも出会った。
今年、流行らせたいファッションが決まれば、若年向けなら渋谷、年配向けならば銀座、
そこでメーカーが、サクラとなるモデル数十人に、その流行らせたい服を着せ、ただ、歩かせるのだ。
一般の歩行者に、そのファッションを自然な姿で見せ、「あ、私もあの服が着たいなぁ」と思わせるのだ。
なるほど。渋谷や銀座には、そんな「歩く広告」のような人間が歩いていたのだ。
意図的な「流行作り」は服飾だけではない。
日清食品が1970年初頭に、カップヌードルを銀座の歩行者天国で何人かに食べ歩きをさせた話は有名だ。
その「流行作り」に加担した会社は今、広告業界のトップに君臨している。
渋谷で、パルコの紙袋を小脇に抱えて歩く姿は、新人類のオシャレな生活をイメージさせたが、
1980年台当初、その渋谷を歩いていた若者も、この広告代理店の若手社員によるものだった。
フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンが、すでに19世紀の時点で、
「群集心理の商業利用の時代が到来する」と予言をしている。
むろん中世においても、フランス貴婦人の洋装や髪型に行き過ぎた流行はあったものの、
ル・ボンが言うには、流行を作為的に操作する側の出現を、この19世紀の時点で指摘したのには驚かされる。
要は、誰でもが「作為的な流行を扇動することができる」と明言しているのだ。
ル・ボンは近い将来、流行は意図的に操作され、流行を起こす側と、流行に乗せられる側が現れると予言していたのだ。
果たして、現代のマーケティングは、このル・ボンの通りに進んでいると言っていいだろう。
群衆心理は、ある仕掛けによって、まるでで磁力が働くように、ある一通りの行動パターンに偏っていく。
アメリカのブラウンという心理学者は、この行動パターンを、「乱衆」と「聴衆」というカテゴリーに分けており、
「乱衆」は悪用、「聴衆」は善用と大雑把に分けられるのだが、
戦争での戦意高揚や、怪しい宗教への勧誘などに使われるのは「乱衆」の一例だ。
ならば、行動パターンを「流行作り」に使うなどは、悪意なき「善用」の一例であり、なんとも明るく平和的な使い方ではないか。
ならば「流行作り」に目くじらを立てるべくでもなく、まして流行を作る人を「悪人」と噛み付く必要などないのだろう。
ということで、私も自分の考え方を180度転換させ、
我々のビジネスで、我々の売りたい商品を「流行で売る」ということが叶えられないか!と、グルグルと考え始めた。
e-コンシェルジュというサービスを「流らせて売る」ということである。
私は一時期、電車の中でも、フロの中でも、会議中でも、映画を観ている最中にでもそれを考えた。
「おい、隣の会社はもうe-コンシェルジュサービスを買ってるみたいだぜ」
「えー!そりゃ乗り遅れちゃイカンよな。ウチも早く買わなきゃ!」てな会話である。
若い女性の口コミという広告手段は、いかなる広告手段よりも低コストでかつ最強である。
そう信じ込んでいる私は、「なぜウチの商品は若い女性向けではなかったのか…」と真剣に悔やんだこともあった。
何とも本末転倒な話ではあるが、それだけ「流行というマーケティング」を使ってみたかったのである。
だが今、僅かな抵抗感が沸いてくるときがある。
流行とは元来、何の力学もなく、まるで水が染みわたるように伝わっていくことこそが道理であるような気もする。
江戸時代の末期、京都から東海道にかけての街道筋でおきた「ええじゃないか踊り」がオモシロい。
世を憂いた庶民が「まあ、踊ろうや」と、次々と隣の村に呼びかけた。
そうして「ええじゃないか踊り」は、京都からスタートし、十数年をかけて薩摩と津軽にまで達したそうだ。
流行は、踊らされるより、踊る方がやはり楽しいのだろうか。