55歳の四苦
~長い人生で最もシンドい年代。それは50歳代だと言われている。その正体とは何なのだろう~
世の50歳代には四つの苦しみがある。私はそれを「55歳の四苦」と呼んでいる。
だがその四苦、10年後の60歳代も半ばになると、不思議に消えて無くなっていくそうだ。
今回は、この「四苦」でもがき苦しむ50歳代へ、一筋の光となる応援歌を送ろう。
さて、20歳代でもなく、30歳代でもなく、40歳代でもなく、60歳代でもなく、
50歳代の世代だけが味わう「4つの苦しみ」とはいったい何なのだろう。
同年代の諸兄なら「分かる…」と膝を打つはずだ。4つを順にあげていこう。
まず1つ目の「苦」は「突然の老い」である。
男も女も、50歳ぐらいから、それまでに感じたことのない突然の老いに気付き始める。
「えっ!こんなはずじゃない」と。
私自身、まず目が見えなくなった。走れなくなった。徹夜ができなくなった。
50歳までの、フツーの体力の衰えとは種類が違うのだ。愕然としたのを覚えている。
女性陣には、辛い「更年期障害」もある年代だ。
そして同級生が、ガンや心筋梗塞でバタバタと死んでいくのもこの年代だ。
私の知人の女性に、中学時代の仲良し4人組が、50歳を超えて3人が次々と早世した人がいる。
その3人の全員が、子宮ガンと乳ガンだったそうだ。
「老いるんだ」「いつか死ぬんだ」という暗澹たる現実を、50歳代はここで初めてそれを実感する。
当り前だった「健康」や「生」を失う不安と焦燥と絶望に、初めて向き合うのである。
これが1つ目の「苦」である。
2つ目の「苦」は「巣立たぬ子供たち」だ。
自分の子供への不安など、どの家庭においても、これまでイヤと言うほどもあったはずだ。
体が弱かったり、イジメに遭ったり、受験に失敗したり、思春期にある反抗期など。
だがそれらはすべて、どの子供も経験をする、若い世代の「ハードル」のようなモノだった。
だが、50歳代の親たちが抱える子供への不安は、それとは違う深刻さが漂う。
今、巣立ちをしない子供たちが増えている。つまり将来像を描けない不安さだ。
「就職できない」「結婚できない」「子供を作らない」「社会に適合できない」など。
これは、子供が若かった頃に味わった不安とは違い、社会のセーフティネットが追いつかない現代、
親は、自分の残り人生で「我が子をいつまで支えられるか」という不安が芽生えてくるのだ。
子供自身が自分の将来を案ずる不安ではなく、老いていく親が、子の将来を案ずる不安なのである。
これが2つ目の「苦」だ。
3つ目の「苦」は「仕事を失う絶望」だ。
30歳から45歳ぐらいまで、我々には「日本経済を動かしている」という自負さえあった。
同窓会で顔を会わせば、いかに忙しいかを誇り、役職と年収を競い、世界情勢を語り合った。
だがある日突然、プツリと職場が無くなるのだ。それは計ったように55歳の頃にやってくる。
男たちは皆、まったくの無防備のまま「戦力外通告」を言い渡され、立ちすくむのだ。
昔なら55歳は「予定の定年」だ。だが今はそんな時代じゃない。55歳で隠居などあり得ない。
待ち侘びた定年なら心も穏やかだが、歴戦の勇士に、突然の「クビの宣告」はあまりにも酷だ。
関西出身の私には、パナや三洋、シャープに行った旧知も多く、皆ぞろ悲哀を味わっている。
経済的苦痛だけではない。55歳で突然仕事を失った男は、情けないほどにモロかった。
これが3つ目の「苦」だ。
4つ目の「苦」は「底なしの介護」だ。
50歳代は、親がちょうど80歳代も半ばになろうとしており、ましてこの長寿の時代だ。
私の周りには、幸いにも親が早く逝った輩もいるが、軒並みすべてが今、介護の真っ只中にある。
認知症の親を見るにつけ、50歳代は皆、経済的にも精神的にも、もうヘトヘトだ。
この介護地獄は、今から40年前にはなかった社会現象だ。
人はもっと早死にだったし、三世帯の同居だったし、ただ生きてるだけの老人などいなかった。
「人は壊れる」と言った人がいるが、まさに介護は支える側の精神をも破綻させていく。
これが4つ目の「苦」だ。
いかがだろうか。これが「55歳の四苦」の正体だ。
これまで正常に稼動していた「健康、子供、仕事、親」の4つが、55歳で突如として軋み始めるのだ。
今まさに、これを読む諸兄に、その渦中の人も多かろう。
私も今、57歳となったのだが、まさにこの「四苦」のいくつかを噛みしめる日々だ。
この「55歳の四苦」を裏付ける統計がある。自殺者の最も多い年代、それが50歳代なのだ。
そしてその自殺の原因に、ほぼこの「四苦」が絡んでいる。
年代問わず、日本人の自殺原因のトップは「病気」で、次は「職を無くした将来への不安」であり、
20歳代の自殺原因のトップは「就職に失敗」であり、親はそれをどんな思いで見ているのか。
さて、その自ら命を絶つほどの四苦にも、実は「魔法の薬」があると言う。
何だかお分かりだろうか。
それは「時」だと言うのです。つまり「時が四苦を消してくれる」と言うのである。
10年も経てば、つまり60歳も半ばになれば、四苦はウソのように霧散していくと言われている。
ホントだろうか。にわかには信じられない。
だが、今の60歳代を見て欲しい。山ガールに高齢者フィットネス、海外旅行に田舎暮らし、
世界遺産巡りに、シニア大学、俳句に陶芸にオヤジバンドにカラオケにと、趣味に謳歌する日々だ。
60歳代は皆、生き生きとしている。なぜだろう?60歳代はこう証言する。
「病気のない人なんかいない。要は病気とどう付き合うかだよ」と達観。
「子供は出て行ったよ。もう支えない。私は私だ」と諦観。
「仕事?ローンも終わったし、年金で楽しく暮らせるから」と納得。
「親?死んだよ」と、これは物理的解消だ。
私はこれまでの人生、面前にある「課題」は、必ず自分で打開してきたように思う。
だが、どうやらこの「55歳の四苦」だけは違うようだ。
これだけは「時だけが解決の手段」なのだろう。
50歳代で四苦を経験した人生の先輩たちが皆、そう口を揃える。
さらに「あの悩んでいた50歳代は何だったのか」と、カラカラと笑ってさえいる。
病気と付き合い、年金が始まり、親が逝き、子が離れ、死を受け入れ、虚勢を張ることもない。
すべての不安が癒える年代、それがこの60歳代なのだ。さもありなん。
だが、安住に辿り着いたときにはもう、人生の終盤だという皮肉である。
さあ今、苦しい思いをしている50歳代の諸君。
頑張らなくてもいいそうだ。抗うのはやめて、時が経つのを粛々と待とうではないか。
この苦行は、きっと10年後、カラリと晴れ上がっているそうだ。
自らを憂い、命を絶つなどバカバカしい。気鬱になるだけ損なのだ。
さあ、20歳代の諸君、30歳代の諸君、そして40歳代の諸君。
君たちもいずれはこの「四苦」を味わうことになる。覚悟して欲しい。
だが準備は無用だ。知っておくだけでいい。四苦は、時だけが解決するということを。
頑張らなくてもいい。頑張らなくても。