株主はそんなにエラいのか?
~欧米人は株主を見ながらの経営をする。だがそれは株式会社の本来のスピリッツなのか~
日本企業に外資が入ったとき、オーナーとなった欧米人は当然のように言う。
「一番エラいのは株主です」と。
そしてその欧米的な合理主義は、ゆっくりと日本式の心根の経営を蝕んでいく。
今日はまず、意外と知られていない「株式会社の起源」を紹介したい。
「なるほど。株式会社ってうまくできてるんだね」と感心するだろう。
産業革命が興ったヨーロッパでは「資本家階級」なるものが生まれていた。
貴族や僧侶という伝統的な特権を優位とするのでなく、
要するに、莫大な財を手にした、経済的強者の出現である。
そして同時期、大航海時代もやってきている。
資本家たちは「貿易でもっともっと儲けたい」と考える。
だがその資本家たちは、自ら汗することが苦手だ。誰かに汗をかいてもらいたいと思ってる。
そこで命知らずの冒険野郎を集めて宣う。
「ワシの代わりに船を操り、七つの海を越え、インドから香料を持ち帰ってくれ」と。
命知らずの野郎どもには、蛮勇と腕力はあるが、金はない。
この時点で、資本家たちと、腕力しかない冒険野郎の利害が一致する。
つまり、船を買い、インドで売れる商品を買い揃え、水兵を雇い、
インドで香料を買い付けるための「金」を用意する資本家が「株主」となり、
その船を操り、荒くる海を超えていく命知らずが「社長」と「従業員」となる。
「株主」は、大海原に乗り出す荒くれ者のスポンサーとなるのだ。
これが今の「株式会社」の原型と言われている。
今も同じだが、もし社長(船長)が経営に失敗したら、つまり船が沈んだら、
その出資金はフイになる。これが現代の会社法での「株主の有限責任」となる。
だがもし、船が3年もの航海を無事に終え、山のように香料を持ち帰ったなら、
資本家は、それをヨーロッパじゅうの市場に並べ、莫大な富を手にする。
資本家は、ハイリスク、ハイリターンが原則だ。
一方、荒波を超え、積み荷を満載で帰っきた「船長」、つまり「社長」は、
「株主」から多くのご褒美をもらう。今で言うなら「役員ボーナス」だ。
そして、次回の航海も「船長(社長)」を任されるのだろう。
だが積み荷がショボいと、その失敗を問われ「船長はクビ」の憂き目を見る。
今で言うなら株主総会での「社長解任動議」となるのだろう。
従業員は、船長ほど責任は重くない。次の航海にも雇われるだろう。
従業員は、ローリスク、ローリターンだ。給料もその分安い。
どうだろうこの仕組み。まさに「株式会社」ではないか。
金は出すが命は賭けない株主。命を賭けて一攫千金を狙う社長。何も賭けないが安全な従業員。
今の「株式会社」は、この400年前の原理を脈々と受け継いでいるのである。
さて「株式会社の起源」の説明はこれぐらいだが、
今この現代において、釈然としないのは、金が金を生む時代となり、
パソコンの前で「株式」を売買する「株主」が、
果たして400年前の資本家と同じ「魂」を持っているだろうか?と問うてみたい。
答えは明白だろう。持っているワケがない。
株式は今や、金融商品と化してしまい、
株主は、社長(船長)の命懸けの決意など知る術さえない。
今回の結論を書こう。
「社長(船長)の命懸けの決意さえ知らぬ株主に敬意など払う必要はない」だ。
そんな株主に、一滴の価値もありはしないと私は思っている。
近年、ベンチャーを興そうとする若者が、
資金をどこで調達するかだが「ベンチャーキャピタル」という事業体がある。
会社経営に必要な金を出してくれる投資会社である。
投資したベンチャー企業が高い成長を遂げれば、その利回り(配当)を期待し、
挙句は、市場にその会社を売却をして利潤を上げるのが目的だ。
私は「ベンチャーキャピタル」が株主になることを否定している訳ではない。
むしろ「アイデアはあっても金はない」という起業家にとっては、
互いの利益が一致した「足長オジサン」になってくれる有難い存在でもある。
だが私は彼らに、これっぽっちの敬意も払わない。
私は400年前の資本家が、自らの目で選んだ船長を、
出航の朝、「無事に帰れ」と抱きしめて見送ったかどうかは知る由もないが、
自らの財を託す船長に、強い信頼と、運命の共感をもって、
凱旋を祈りつつ、その船影を、水平線に消えるまで見送ったに違いないと信じている。
船長は命懸けであり、株主はそんなことは百も承知で、
これで両者に「血」の通わないワケがないではないか。
これこそが「株式会社のホントの起源」なんだと私は思っている。
今、ROEという経営指標がにわかに注目されている。
これは、株主資本の活用度を表す数字で、
要するに、いかに会社が「株主」に貢献したかを示す指標である。
今、経営者は、IR活動の一環として、この数字の向上に躍起になっている。
だが、そんな数字が何だと言うのだ。今の経営者は誰を見ながら経営をしているのだ。
そして「株主」は、会社の何を見て経営者を評価しているのだ。
業績か?魅力ある商品か?社会的地位か?社長の熱い思いか?それともROEなのか?
かつて、マツダがフォードの傘下に入ったことがある。
株主であるフォードが最初に送り込んだ初代社長のヘンリー・ウォレス氏は、
マツダの魂であったロータリーエンジンの生産を中止した。
だが、ウォレス氏は、そのショック療法で社員の意識改革を行った後、
再び、ロータリーエンジンを搭載した「RX-8」の開発を命じている。
そしてマツダは、ウォレス氏の「株主魂」をもって復活を遂げることになる。
こんな欧米人もいるのだ。
魂ある「株主」に恵まれた会社は、必ずや積み荷を満載して帰ってくるのだろう。
今から会社を興そうとする若い人よ。
「キミに惚れた」と言ってくれる株主を見つけ、そして熱く説くのだ。
すぐに「ベンチャーキャピタル」に飛びつくような経営は必ずや霧散する。
魂ある「株主」を見つけられないようでは、そもそもキミに社長の資格など無いのだろう。
会社経営とは「株主」を熱くするところから始まる。
私は「株主」に恵まれたと思っている。
私の熱い思いを受け止めてくれた「株主」に、その「魂」があったからだ。
そう。魂の無い「株主」に、命は賭けられない。