荒木村重の変心
~人は後悔を引きずったままでは次の勝負には勝てないらしい。ならば変心するべし~
「過ぎて返らぬ不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ」
シェイクスピアの「オセロ」の一節だが、
「くよくよしない」は、成功への絶対条件なのである。
小生、50年を越える人生で、実は「後悔」というものをしたことがない。
学生時代に留年した時も、JALの株券が紙切れになった時も、
起業にしくじった時も、大きな契約を打ち切られた時も。
だがそれに、一粒の努力もしたことはない。
くよくよしないのは、単に、生まれ持っての性格なのだろう。
親に感謝するしかない。
後悔は「次の失敗」を引き起こすらしい。
だから人は、後悔をしたまま、次の勝負には出られないのだ。
忘れるべきなのだ。
今回は、その「くよくよしない男」のトップクラスをご紹介をしよう。
今年のNHK大河ドラマは「黒田官兵衛」である。
黒田官兵衛とは、言わずもがな、戦国時代に秀吉に仕えた名軍師であるが、
今回、取り上げるのは、
その官兵衛に、大きな影響を及ぼしたある男について書きたいと思う。
その男、「荒木村重」という。
歴史上、それほど有名な人物ではないが、
この男のある鮮烈な行動が、今でも多くの歴史家に取り上げられている。
今回は、そこにスポットを当てよう。
織田信長の腹心たる武将はあまたいるが、その中の一人に、
伊丹の有岡城を本拠とする荒木村重という武将がいた。
信長から目をかけられ、多くの武功をあげ、摂津一国を任された。
知将でありながら勇猛で、将来を嘱望され、
天下を狙う信長に仕えてさえいれば、その版図は大きくなる一方だったろう。
だが、村重は突如、信長に謀反を翻すのである。
興味深いのは、村重が裏切りを決めた経緯にある。
心の動きは複雑だったはずだが、その行動は極めてシンプルなものだ。
最初、村重は謀反するなど、これっぽっちも思ってはいなかった。
だが、信長連合軍で「本願寺攻め」をしていた時、
たまたま動きの悪かった村重は、
「ん?もしや、村重は寝返るつもりか?」という
根も葉もないウワサが広まってしまう。
村重は「これはマズい」と思ったのだろう。
すぐさま、信長を安土に訪ね、その誤解を解こうと思い立った。
だが、伊丹を発って数日後、
「信長は、すでに裏切り者の村重を殺すつもりだ」とのウワサを聞く。
ジリジリと日が過ぎるにつれ、
そのウワサはますます真実味を増していく。
一度、裏切ったモノを信長は絶対に許さない。
村重も、そして同行していた村重の家臣達も、
信長の執念深さと、猜疑心の強さは知り尽くしている。
どんな弁明も通じない。
信長とはそういう性癖であること、それは衆知の認めるところなのだ。
「ならば、裏切るしかない」
村重は、近江に入る寸前に、踵を返すのである。
いわんや、村重は、裏切るつもりなど米粒ほどもなかったのである。
だが、実にシンプルに決心をする。
「しゃーない。裏切る」と。
生死を分ける果断であるにもかかわらず、何とも簡単ではないか。
歴史を後世から見ている我々は、結末を知っているのだが、
当時の村重も、まさか信長に謀反して勝てるとは思っていない。
絶体絶命なのだ。
その中で裏切るのである。
村重の面白さは、帰城して、着々と謀反の「理由」を作るところにある。
まるでハナっから、謀反をする気があったかのようにだ。
いったい何のために。
村重は「背水の陣」を引く。
逃げられない状況を作り、死を賭して、果敢に戦うため退路を断つのだ。
村重に残された道は、無敵の信長と戦うしかないのだ。
だから「後悔」を一切、取り除いた。
これがスゴい。
結論を書くが、村重は生き残る。
城に残った家臣や家族は皆殺しにされたのだが、最後は一人で逃げた。
人生の終盤は茶人として終えるのだが、
この村重の謀反までのいきさつ、その「変心ぶり」が鮮やか過ぎるのだ。
最初はそうではなかったのに、もう戻れないと見るや、
すべて曇りなく、心を変えていく。
まるで、あたかも、最初っからそのつもりだったかのように振舞う。
この「変心」こそが「強さ」を生むのである。
リストラに遭った。左遷を命じられた。重職から外された。
子供が学校を辞めた。離婚を言い出された。店を閉めるしかない。
自分のうかつな行動を後悔し、誰かのせいにして、人を憎み、
今、自分の置かれた不遇を恨み、不運を嘆く。
人生には、そんな時もある。
だが「そんなつもりじゃなかった」などと言ってはならない。
こと、ここに至っては、すべて一分も残さずに、心の染めるのだ。
「そのつもりだった」と。
その瞬間、道は開ける、と村重は言うのだ。
後悔は「弱さ」を作るらしい。
ならば「変心」するべしだ。