メリーゴーランドの安全装置
~人間関係の破綻は、アクシデントの後の「速度の違い」によって訪れる~
ある女性カウンセラーから面白い話を聞くことができた。
人間関係の破綻は、小さなアクシデントの後の、
両者の「速度の違い」によって生じると言う説だ。
メリーゴランドに乗ったことのある方は、
それがかなりの高速で動いていることに驚いたかもしれない。
メリーゴーランドは、
木馬の上下運動とその周回運動で成り立っている。
目に映る景色は飛ぶように流れ、
子供の遊戯施設でありながら、結構スリルの味わえる乗り物だ。
しかし所詮は子供の乗り物だ。
これだけ高速で動くなら、
子供が木馬からズリ落ちたらどうなるだろう。
無防備な子供なら大怪我になるのではないだろうか。
だが大丈夫。
メリーゴランドの床は、木馬と同じ速度で周回運動をしているからだ。
つまり、
止まっている車から地面にズリ落ちるのと同じだ。
ダメージはそれほどでもない。
だがもし車が動いていたらどうだろう。
青アザでは済まないはずだ。
カウンセラーはこう表現した。
「木馬と床の速度の違いが、人間関係の破綻を生む」と。
分かりやすく解説してくれた。
すべて実例だそうだ。
結婚5年目の夫婦に、念願の赤ん坊ができた。
だが、臨月間際で流産(死産)してしまったのだ。
その時、母親の命も、間一髪で救われた。
夫婦にとっては悲しいアクシデントである。
だが妻は、子供を失った悲しみよりも、
自身が味わった「死の恐怖」に震えていたのだ。
夫はそれに気付かず、子供を失った悲しみだけを嘆き、
流産した妻を責め続けた。
この夫婦は数ヶ月後に離婚する。
子供が死んでしまったことは、木馬から落ちたアクシデントだ。
しかしその後の、夫婦の気持ちのすれ違いこそが、
木馬と床の「速度の違い」だったのだ。
中学2年生の娘が学校へ行かなくなった。
明るく、何でも積極的だった娘が、急に家に閉じこもってしまった。
どうやら学校でイジメに遭っているようだ。
母親は父親に「娘を転校させたい」と訴えた。
だが父親はそれには答えず、
目の前に娘を座らせこう言った。
「イジメられる側にも責任があるんじゃないのか!」と。
父親は娘に「頑張れ」と言いたかったのだろう。
娘はその翌日、自らの命を絶ったそうだ。
イジメられたのは、木馬から落ちたアクシデントだ。
それだけならケガもいつか癒えたかもしれない。
だがその刹那、父親の発した言葉が、
木馬と床の絶望的な「速度の違い」になってしまった。
このカウンセラーは、
ある企業の管理職から相談を持ちかけられた。
「部下が次々と辞めていく」という悩みだった。
経営陣から突きつけられるノルマの厳しさに、
そのマネージャーは日々、疲労困憊していた。
ある日、部下が営業先から帰ってきて自分の席に座った。
マネージャーは部下を呼びつけた。
「おい!契約は取れたのか!」
「いえ、取れませんでした」
「なぜスグに報告しに来ないんだ!」
「…上手く行かなかったので」
「何を不貞腐れてるんだ!」
よく見る光景かもしれない。
契約が取れず、ショックを隠そうとせず帰ってきた若い営業マンに、
マネージャーは、苛立ちを隠すことなく罵声を浴びせかける。
契約が取れなかったというアクシデントの後の光景だ。
カウンセラーは管理職に言った。
「なぜ一緒に悲しんであげなかったのですか?」
「部下は悲しんでなんかいない!」
「経営陣に近いあなたと部下の方では、速度が違うでしょ」
「…速度?」
アクシデントは、日常、いくらでもあるだろう。
避けては通れない。
だが、アクシデントが人間関係の破綻を生むと思うのは間違いで、
そのアクシデントの後の、
「速度の違い」によって破綻は訪れるのだそうだ。
性別が違う夫婦、世代が違う親子、立場の違う上司と部下。
速度は自ずと違うのだ。
なるほど…。
思い当たるフシはいくらでもある。
メリーゴーランドの安全装置。
それは実に簡単な仕組みだった。