オートザムに会いに来い!
~究極の営業とは「探すこと」と見つけたり~
この高慢で、上から目線のテレビコマーシャルを覚えているだろうか。
1990年、マツダの販売店「オートザム」のコマーシャルコピーだ。
生意気にも、お客様に「会いに来い!」と言うのだ。
「誰が行ってやるモンか!」と思いつつ、
数日後、私はオートザムに足を運んでしまった。
そう。まんまとハマった訳だ。
(車は買わなかったが)
「お願いだから買って!」なんてコマーシャルはあまたある。
しかし「買いに来い!」なんてコマーシャルは前代未聞だった。
だが、とても新鮮だったのを覚えている。
あのコマーシャルを、心底、不快に思った人はいなかったと思う。
爽やかな口調。
まるで女の子が「私が好きなら会いに来る?」と、
イタズラっぽく笑って誘っているように思えた。
ここで「うまいキャッチコピーの作り方」を論じるつもりはない。
昔々、昭和30年代にこんなシーンがあった。
マンガ本は今と違い、高額で、なかなか子供には買えなかった。
貸本屋が主流だった時代だ。
マンガを買うお金がない店先で、
見るからに金など持ってないクソガキが、立ち読みをしている。
店主が、まるで汚いモノでも見るように、
「ああー!金がない子は出てってくれ!本が汚れる!」
とハタキで子供らを蹴散らすのだ。
今ならあり得ない光景だ。
がしかし、本を売ることを業にしている店主なら、
「買わない奴は本屋に来るな!」は本音だろう。
だが今は「いずれ顧客となるクソガキも大事にすべし」
と考えるマーケティング思想が幅を利かせている。
だが、本当にこれは正しいのだろうか?
「顧客の創造」という言葉がある。
米国の経営学者・ドラッガーの有名な言葉だ。
米国で、デリバリー(配達)というシステムが流行り始めた。
それまでは、
毎日お店に訪れてくれる「近郊に住む人」だけが真の顧客であり、
店から数百マイルも離れた所に住む人は、
とても顧客にはなり得なかった。
だがドラッガーの提唱で、
これまで買いに来れなかった人でさえ、
「デリバリーによって、誰でも顧客に仕立てることができる!」
と考えるようになった。
まさに「顧客の創造」である。
だが私は思う。
「買いたい」という意思を持って店を訪れる人に商品を勧めるのと、
「買いたい」とまだ思っていない人を顧客に仕立て上げるのでは、
まったく営業プロセスが違うのだ。
前者は楽チンで、後者は非常に難しい。
前者は低コストでできるが、後者は高いコストを要するだろう。
まったく違うのだ。
私は営業とは、
「いらない!と言ってる人を説得する」のではなく、
「欲しい!と言ってる人を探すこと」と割り切った。
「顧客の創造」ではなく、
「顧客の探索」が営業だと腹を据えたのだ。
「どう違うの?」と首を傾げている諸兄もいるだろう。
「なるほど!」と膝を打ってる人もいるだろう。
もしあなたがベンチャー企業を興し、
「どうやって売るか」を、明けても暮れても考えているのなら、
この際、私の提言に膝を打って欲しい。
過日、こんな人に出会った。
「トーテンポールが欲しいんだ。呪詛がかかってる本物がいい」
ヘンな人もいるもんだ、と感心したが、
自分の欲しいモノを「どこに売っているんだ」と探しまくっている人は、
世間にはウジャウジャいるのだ。
私は顧客を作る前に、
我が社のサービスを探している人を探そうと思っている。
「営業とは説得ではなく、探すことと見つけたり」
そう考えれば、
営業スタイルがまったく違うモノになってくるのだ。
私も言いたい。
「りんくるに会いに来い!」
と。