東京松下村塾
~ここ東京りんくるに集う若者を維新の高台に立たせたい。東京松下村塾の開講だ~
東京りんくるは「東京都中央区日本橋小伝馬町」という地にある。
小伝馬町は明治維新に、あの吉田松陰が処せられた刑場のあった地だ。
それならば、と、ここ東京りんくるで100年ぶりの松下村塾の開講だ。
最初、大阪から東京オフィスを探しに来た時、
「え!小伝馬町」と、一瞬、逡巡してしまった。
不動産屋さんは「なんで?」という顔をしている。
「だってここ、牢獄のあった場所でしょ」と詰め寄ったら、
さすが年配者、小伝馬町がはるか昔、刑場とは知っていたが、
「谷さん、それって100年前の話でしょ…」と苦り顔だ。
江戸の刑場は、品川の鈴ヶ森と千住の小塚原が有名だが、
ここ小伝馬町も有名な牢獄跡だ。
明治から大正にかけ、
東京駅にも近く、地便の利があるのに、この地がまったく開発がされなかったのも、
ここが多くの血を吸っているからに他ならない。
安政の大獄では、多くの勤皇の志士が小伝馬町の牢獄で処刑された。
そしてその中で、あまりにも有名な一人に吉田松陰がいる。
松陰の碑は今でも小伝馬町にひっそりと建っている。
私は吉田松陰の崇拝者ではない。
むしろ松陰の偏狭さと偏屈さに好感が持てず、
なぜこんな男の塾に多くの書生が集ったのかを不思議に思うぐらいだ。
松陰を見ていると、秋葉原に訪れるパソコンオタクを連想してしまう。
あまりにも没個的で、思想に殉じることを美徳とし過ぎるきらいを感じてしまう。
だがこの松陰が開いた「松下村塾」は、
初代首相の伊藤博文や陸軍元帥の山県有朋をはじめ、
尊王攘夷を掲げ京都で活動した久坂玄瑞や高杉晋作、吉田稔麿、井上馨など、
明治維新や新政府に関わる人物を多く輩出しており、
近代日本の黎明に名を残す逸材ばかりを出した塾なのである。
今でも山口県萩市に国の史跡に指定されている松下村塾は、
罪人である吉田が粛清されたため、わずか3年で閉講されている。
つまり、たった3年の短い期間に近代日本の為政者を作り上げたことになる。
いったい吉田松陰とはいかなる人物なのだろうか。
この塾の塾生は大半が下級武士で、中には町人や中間(武士に仕えている者)もいた。
いわば松下村塾は身分を越えた塾であり、
幕府や水戸藩の開いた上級武士だけの藩校とは趣を異にしており、
緒方洪庵の適塾と並び、志を持つすべての人に門戸を開いた私塾である。
それだけに綺羅星がごとく優秀な人材ばかりを世に送り出している。
塾生は皆、それぞれが自分の気に入った学問を勉強する。
専任の講師がいて、決まったカリキュラムを教える現在の学校のような
一方通行の教育システムではない。
塾生の自発性をベースとした「有志のクラブ」と思ってもらった方が良い。
塾主は、塾生達が目指す学問の進め方の指針を示すのが主な役割で、
議論の場を設けることが塾の主眼なのである。
今でも現存する松陰の書簡を見ると、
「誰々は議論が下手だが人付き合いは上手い」
「誰々は観察が好きだ。海防線調査に向いている」など、
その塾生の持つ個性、それも良い性質だけを評価しているに過ぎない。
松陰は何にも教えていない。
松陰が唯一、全ての塾生に与えたのは外界(長州の外)の様子ぐらいのものだ。
松陰は「飛耳張目帳」という書物を編纂し、ただそれを塾生に読ませていた。
これは全国各地の外遊(旅)から戻った塾生から伝え聞く世情を、
松陰がまとめただけの書物で、そこには思想的なサジ加減を一切入れず、
ただ単に事実のみ記し、その写実的な解説だけをもって、
順講や討論といった議論の場を開いている。
塾生が自分で考え、自分の意見を持つことを、望んでいたことが窺える。
実行することを徳とした「陽明学」を重んじる松陰らしい塾である。
松陰は「自分で考え、自分で行動できる人間」を創りたかったのだろう。
松陰は1858年、黒船への密航を企て、幕府から処刑を言い渡される。
長州藩の政治力を使えば、助命してもらえたはずの松陰は、
「処断されること自体、行動の価値の証である」と、
一片の命乞いもせず、むしろ死刑を望み、枯葉のように消えていく。
まさに、思想に殉じた偏屈モノだ。
後世、多くの塾生が日本を変えていったことさえ知る由もない。
さて、私には教えるモノなど何もない。そんな術もない。
が、ここ東京オフィスを松下村塾にしてみたい。
小伝馬町という地を選んでしまったからには、そんな思いが沸々と沸いてくるのだ。
社員はたった10数名しかいない。
しかしこのオフィスが、
それぞれの人生を考える塾場になればどれだけ素晴らしいだろう
それには仕事をという教材を用いるのだけれど、
そこで作り得た自分を、
自分の人生と社会に惜しみなく使っていって欲しいと思うのだ。
でき得るならば、
ここで育った若き志士たちが、私を置いてきぼりにしながらも、
地殻を変動しえる平成維新の高台に立ち、
後世の社会に何がしかの足跡を残してくれれば、と願う。
傲慢だろうか。
が、私もまだまだ稚拙ではあるけれど、
議論にはまだまだ付き合える。
若者に会いたい。
志を持った若者よ、ここ小伝馬町を訪ねて欲しい。