オセロを100回裏返せ!
~「正しい答え」などいらない。欲しいのは「頑丈な答え」である~
白と黒しかないオセロ。どっちになるかは50%の確率。
どちらの色が正しいか…。でもどっちだって一緒。
要は、どれだけ考えたかが明暗を分ける。
「このプランは最善か?もし東京に大地震が来たらどうなる?」
「谷さん、そんな非現実的な事まで考えなきゃなりませんか?」
「オレはどうする?と聞いているんだ」
「…」
「どうする!」
「…あきらめますよ。それ以外ないし…」
「じゃあオッケーだ」
「はぁ?」
こんな会話が職場で日常茶飯事のように飛び交う。
あまりにも非現実的な「もしも」は大袈裟だが、
私は昔からとにかく臆病者である。
仕事を依頼するパートナーが見つかった。
しかしその瞬間から、
「もしもこのパートナーが逃げたらどうする」と考え、
実はもう一社、
同じことができるパートナーを探し始める。
依頼されたパートナーからは「不誠実だ」と怒られることもある。
だからバレないように探す。(笑)
これ程、不誠実なことはないだろう。
オセロには白と黒しかない。
どっちが正しい答えなのかは確率50%である。
ギャンブルでない限り、勘で答えを求める事はないが、
「白」と応えた部下に、
何回、オセロのピースをひっくり返したかを聞く。
「もし、こうなったら黒だな」
「いや、こうだったら白か」
「いや待て、こんな場面に遭遇したら黒だな」
「いやいや、予算がない。ここは白かも」
「でも日がないな。やっぱ黒か」
延々と続く自問自答。
そして最後の最後に「白」と決めるのだが、
それは最初に決めた答え「白」と同じ結論だ。
だが違う。
「何回考えたか」が必ず後で効いてくる。
私は部下に「100回考えろ」を言い続ける。
出てきた答えの色などに興味はない。
2回考えて出た「白」と、100回考えて出た「白」とは訳が違う。
正しい、正しくない、のではなく、答えが「頑丈」なのである。
答えが頑丈ならば、
どんな場面に遭遇しようと、
「どう対応すればいいか」を、すでに考え抜いているのである。
「こうなったらこう!」
「こんな事になったらアノ手で行く」と、
すべての「もしも」に即、手を尽くせるのである。
「オセロを100回裏返せ!」
これはすべての社員に求める。
訓練さえすれば、それは数分しかかからない。
「頑丈な答え」は「正しい答え」さえ凌駕する。
「もしも」を考えていない「正解」などあり得ない。
臆病者の生き残り術がここにある。