「仰げば尊し」は誰のために
~長く続いた手続きにこそ疑問の目を持ちたい。ある中学生の投じた一石が生んだ法則~
昨日まで正しかった事は今日も正しい。今日正しかった事は明日も正しい。
しかしそれが10年後に正しいとは限らない。
定年を控えた老教師が「生徒に教えられた」と涙したある出来事がある。
「卒業式に歌う曲は、我々生徒側で決めさせてもらいます。」
定年を控えた老教師は、それを時代の流れと悟ったが
やはり淋しく悲しい気持ちになった。
卒業式といえば、あの「仰げば尊し」が定番ではないのか…。
しかし、もはや時代の潮流には逆らえなかった。
昭和40年代後半、
「蛍の光」と「仰げば尊し」の卒業式の定番が崩れ始めた。
当時、卒業式の曲では「旅立ちの歌」(上条恒彦と六文銭) が流行っていた。
学校側の了解を得た卒業生代表のこの3年生は、全校生徒を前に、朝礼で演台に立った。
「3年生諸君!我々は自分達で卒業式の曲を選べることになった。」と胸を張って言い放った。
3年生からは大きな拍手がおこる。
しかしその3年生代表は、次におかしな事を言い始めた。
「実は皆さんに提案があります。僕には、どうしても卒業式で歌いたい曲があります。
それは3年間、本当にお世話になった先生方に『感謝』の気持ちを伝えられる曲なんです」と。
3年生からはまた大きな拍手がおこった。
そしてその3年生は信じられないことを言った。
「それは『仰げば尊し』という曲です」
生徒達は一瞬、固まったように静まり、そしてザワつき始めた。
何を言ってるんだ?こいつ頭がおかしいのか…?
生徒だけではなく、その老教師も、すべての教師も、彼のその発言の意図を汲み取れなかった。
折角、選曲を勝ち取ったはずなのに、それでは何も変わらないじゃないか!と。
しかし演台に立つ3年生は続けた。
「我々は先生方に感謝の気持ちを伝えたいんだ」と。
「我々がその曲を選ぶことができるんだ」と。
ザワザワと顔を見合わる生徒達。
しかし、3年生のある塊から小さな拍手がおこり始めた。
そしてその拍手はすべての3年生に広がり、そしてその拍手は、とうとう全学年の拍手に変わった。
そして、呆然としていた教師達にも広がることとなった。
「仰げば尊し」という曲には『仰げば尊し我が師の恩』とある。
そもそも「ありがとう」という感謝の言葉は、誰が言うのだろう。
我々教師は、それが長く続けてきた事だから、これが卒業式の定番だからと、何の疑問もなく、
「ありがとう」を生徒に歌わせてきたのではないだろうか・・・?
本当に感謝の気持ちを表すならば、その言葉は「送る側」から言い出すべきではなかったか…。
老教師はハンマーで頭を殴られたショックを覚えた。
そして全校生徒の拍手の大轟音に、溢れてきた涙を禁じ得なかった。
「教えられた…。私は教師生活28年にして、生徒達にとんでもないことを教った…。」
もはや溢れる涙を止める必要などなかった。
昔から続けられていることは、それが始まった当時は正しかったのだろう。
しかし、それが幾十年も続いて今、それが正しいとは限らない。
経営の日々、多くの判断の場面に遭遇するが、それがこれまで正しかった商習慣であろうと、
例えそれが既成概念の中で正しいとされてきた事だとしても、
それをもう一度「正しいのか?」と、自問自答する勇気ある新鮮な目を持ちたいと思う。
「仰げば尊し」
今、この曲を歌う卒業式はなくなったようだが、選曲は生徒の側にあるようだ。