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2018年01月号

vol. 130

幸せ保存の法則(2)-卒業理論

~「幸せ」は作り出せるモノだと気が付いた。それは自らの「卒業式」によってもたらされる~

前号の「幸せ保存の法則」で書いたのは、幸せは「比較」によってもたらされるということだった。
特に、人は「過去の自分」と「今の自分」を比較し、今が恵まれていればそれで「幸せ」を感じる。
ならばその心理を利用すればいい。そう。「幸せ」は作り出せるのだ。

大学時代、朋友たちと酒を飲みながら「幸せとは何か」を、毎夜、毎夜、議論に明け暮れた。
そして我々は、次の2つの法則を見つけ出した。
「閉ざされたグループの中での幸せの量は一定である」という第一法則と、
「人の一生涯の幸せの量は一定であり、なおかつその積分値はゼロである」という第二法則だった。
今回は、この「第二法則」から派生した、我々が自身の人生を変えてしまった、ある面白い「理論」をご紹介しよう。

実は、我々がこの「第二法則」を突き詰めていく最中、一人が、折角の集大成に水を差す、こんなことを言い出した。
「人は、幸せを求めてはいけないのではないのか…」と。
もし、この「第二法則」が正しければ、例え自らの手で「幸せ」を獲得したとしても、
「積分値がゼロ」ならば、その掴んだ「幸せ」の後には、必ずや、それを帳消しにする「不幸な出来事」がやってくるのだ。
ならば、幸せを求めること自体「徒労ではないのか」という言い分である。

なるほどその通りだ。「幸せ」は単に「不幸の前兆」なのかもしれない。
片思いの恋の成就も、歯を食いしばって掴んだ高校合格も、可愛い赤ちゃんの誕生も、同期に先んじた課長のポストも、
それは、その後にやって来る「不幸」の前触れならば、誰がそんな「ひとときだけの幸せ」を望むだろうか。

我々は突如、折角発見をしたこの「第二法則」に、人生の「業」を見たようで、ひどく退嬰的な気分ちに陥った。
大発見の正体が、実は「原子爆弾だったんだ…」と、愕然としたことを覚えている。
だが誰かが、起死回生の発言する。「じゃあ、先に『不幸せ』を作ればいいんじゃないか」と。
なるほど、面白い。逆転の発想だ。

そして我々また、長い長い夜を費やし、風呂桶ほどの酒を飲んだ挙句、ついに画期的な「理論」にたどり着いたのである。
それが、この「幸せ保存の法則」の集大成となる『卒業理論』だった。
この「卒業理論」を簡単に説明するならば、
「自ら先に『不幸せ』の境遇を選択せよ。さすればそれを埋めようとする『幸せ』が必ずやってくる」という理論である。
何ともシンプルである。

ではなぜ「そ・つ・ぎ・ょ・う」なのか。
それは、この理論を、日本中の小学6年生が迎える「卒業式」で、まさしく実践されていることを見つけたからだった。
これも、目からウロコの大発見だった。解説しよう。

小学生は6年生になると「卒業式」を迎える。6年間、仲良くなった友と別れ、それぞれ違う道に進む。
「卒業式」という大人が作ったこの無慈悲な制度によって、「竹馬の友」と信じた仲間と、別れ別れにさせられるのだ。
「もうこんな仲のいい友とは一生涯、出会えないかもしれない」と、皆がそう思い涙する。
これが「卒業式」だ。一瞬にでも、彼らにとってそれは「不幸せの瞬間」でもあるはずなのだ。

だがその春、彼らは新しく中学校に進み、「もうこれ以上の友には出会えまい」と思っていたにも関わらず、
その後の自分の人生を左右するかもしれぬ、「新しい友」との邂逅を得るのだ。
その新しい友は、これからの人生に多くの影響を与え、これまで知り得なかった価値観や考え方を与えてくれるかもしれない。
小学校卒業の瞬間、あれほど悲しかったのに、それを帳消しどころか、逆に、自分にプラスとなる「出会い」が待っていたワケだ。
そしてその3年後、また卒業式を迎え、中学で知り合った仲間と別れ、
再び「これ以上の友にはもう出会えまい」と涙するのだが、次は高校へと進み、
そこでまた、自分の人生に大きな影響を与える「新しい友」と出会うのである。

ではもし、この「卒業式」がなければ、竹馬の友と、別れることなどできただろうか?答えはNOだろう。
新しい友との出会いは、「卒業式」によって無理矢理に引き離されたがために起こった「必然の出来事」なのだ。
これこそが、幸せ曲線の「反動」の正体なのである。
新しい友の中には、生涯の伴侶や人生の道標となる恩師、世界観を変えてくれた友垣などが、次々と現れてきたはずだ。
もしこの「卒業式」がなければ、新しい友に出会う「縁」は生まれなかったと、断じてもいいはずだ。

誰が考えたのだろう。この数年おきの「卒業式」というシステムを。素晴らしい制度ではないか。
もし貴方が、幼稚園から大学まで、ずっと同じクラスの友とだけで過ごしたならば、どれほどつまらない青春だったろう。

さあでは、なぜ「大人」には、「卒業式」がないのだろう。
たまに職場に異動があり、上司や部下も入れ替わるが、それは小学校なら、せいぜい「席替え」程度の出来事だ。
たまに「転勤」があったとしても、それなど長い長いビジネス人生においては、少な過ぎる「卒業式」だ。
答えは簡単である。
大人は、自ら『卒業式』を用意できる「力」を持っているということなのだ。
つまり、「卒業式は、自らの手でやりなさい」ということなのだ。

大人にも「5年おきに勤め先を変える」「5年おきに住処を変える」「5年おきに配偶者を変える」なんて法律があればいいのだが、
自ら「卒業式」をしない限り、大人達には、強制的な「別れ」もなく、その反動となる必然の「出会い」もないのだ。
何もしなければ何も起こらない。それは、x軸にピタリと張り付いた「幸せ曲線(直線)」なのだ。何とつまらない人生だろう。

今日の結論である。
自ら「卒業式」を敢行せよ。そして先に「辛い境遇」に身を置こう。さすればそれを埋める「幸せ」が必ずやってくるのだ。
これが「卒業理論」である。

この理論を作った我々は、「自ら卒業式をし続けよう」と誓い合った。
人生には多くのターニングポイントがやってくる。そのときには、必ず「苦しい方を選ぼう」と。
人生は何もしなければ何も起こらない。ならば、自ら「今の境遇を投げ捨てよう」と。

「卒業」するのは何だっていいのだ。
大好きだったマンガを卒業すれば、きっとこれまで味わったこともない活字の世界が新しい感動をくれるはずだ。
結婚して30年。惰性だけで過ごす「ぬるま湯」の関係を断ち切れば、また新しい「パートナー」がきっと見つかるのだろう。
生涯、ここを離れぬと決めた土地を、後ろ髪を引かれながらも去ると決めたなら、きっと新たな「故郷」が見つかるはずだ。
居心地の良かった職場を思い切って辞めてみれば、これまで見たこともなかった新しい活躍のステージが待っているはずだ。

大人は子供達に「卒業式」を用意した。そんな大人が「卒業」を怠ってはイカンだろう。「卒業」を怖がっていてはイカンだろう。
大人になって「卒業式」をせず、ただ漫然と日々を送るならば、
幸せの曲線は「幸せゼロの直線」が延々と続くだけで、いったいそんな人生の何がオモシロいと言うのか。
我々は、幸せ曲線が大きくウネり、泣いて笑って、笑って泣いての「抑揚ある人生を送ろう」と決めたのである。

「何かをやめると、不思議に何かが始まる」。これがこの「卒業理論」の真理だ。
「何かをやめないと、新しいことは何も始まらない」。これが「卒業理論」の真理なのだ。

苦行先買いの諺はあまたある。「苦あれば楽あり」「雲外蒼天」「冬来たりなば春遠からじ」「止まない雨はない」などなど。
だがこれは、我々の説く「卒業理論」とは少しニュアンスが違う。我々の言う「卒業理論」とは、
とどのつまり、「意図的に幸せ曲線を波立たせよ」であり、さすれば「人生はオモシロいぞ」という教えなのである。

最初、パロディだったこの「幸せ保存の法則」も、この「卒業理論」の発見の後からは、我々は人生を変えてしまったようだ。
私自身、これまで2度までも起業し、そして日々、暖い毛布を自ら剥ぎ取らんと、自分に言い聞かせている。
私はいつの間にか、人生の選択のとき、必ず「波瀾」を選ぶようになった。すべては「卒業理論」がそうさせているのである。

「幸せ」は、自らが作った「卒業式」の後に訪れる。
抑揚のない人生ほど、つまらないものはない。

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