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2008年3月号

vol. 012

アドルフ・アイヒマンの統計学

~ナチスドイツのアイヒマンと現代経営者が犯す同じ罪とは~

机上の紙面にペンを走らせ、ホロコーストを指揮したアイヒマン。
このアドルフ・アイヒマンは果たして偏狂たる殺人鬼だったのだろうか。
現代の企業経営者が犯す「机上の統計」とは何が違うのだろうか。

第二次世界大戦時のナチスドイツに二人のアドルフがいた。
一人はあのアドルフ・ヒットラー総統だ。
そしてもう一人のアドルフは、
アウシュビッツ収容所などで「ユダヤ人大虐殺」を指揮し、
ホロコーストを粛々と計画指揮したアドルフ・アイヒマンである。

いきなりこのブログに、
「ユダヤ人大虐殺」の首謀者の名を書くのは気が進まないが、
このアドルフ・アイヒマンが法廷に遺した言葉が頭から離れない。
彼は「一人の死は悲劇だが、数万人の死は統計だった」と証言している。
この言葉に、世界中が震撼し固唾を呑んだ。

1962年12月に絞首刑になり、
アルゼンチンの農家で静かに暮らした逃亡生活は17年で終わった。
アルゼンチンに家族まで呼び寄せ、
イスラエル当局に捕縛された時、
彼がアイヒマン本人であることが知られてしまったのは、
アイヒマンが最愛の妻との結婚記念日に、花を買ったことであった。

戦争は痛ましく、
私自身も「戦争反対」を当然唱える一人である。
そしてアンネの日記や記録映像を見せるつけられる現代では、
「ユダヤ根絶やし」の是非など疑う余地さえ持たないのは自明であるが、
ではアイヒマンの「統計だった」という言葉は、
すべての人々が斟酌し得ない「非人間的な言葉」なのだろうか。
私には、どうしてもそう思えないのである。

彼は拘置中に「ミルグラム実験」を受けている。
このミルグラム実験は、
権威者の命令に人は脅迫的に、また観念的な従属共感の中で、
自己の成否判定を超えて従ってしまう心理状況を実験するものである。
だがこの実験自体、間違っていると思う。
これはイスラエル裁判の不公正をカムフラージュするための演出で、
アイヒマンが言う「統計」だからこそ犯した罪であり、
殺す人の顔を、直接見ないからこそ実行できた大虐殺だったと思えてならない。

極端な例になるが、人は目の前で、子供を抱いている母親を殺すことはできない。
しかし、目の前にある「リスト」に書かれた女性の名前の横に、
「kill」という単語を書き加えることはできるのである。
「あと何人ガス室に送ればユダヤ人は6割にまで減る」
そういった事務的な手続きだからこそ起こった大殺戮だった。

そういった面では、
広島と長崎に原爆投下を命令した米国トルーマン大統領も、
同じ大虐殺罪ではないだろうか。
彼は恐らく大統領執務室にてこの決定をしたのだろう。
官僚が挙げてきた日本の地名リストから、
ある統計的な判断をもって広島と長崎の地名をリストから選んだに違いない。
アイヒマンと何が違うのだろうか。

だが間違いなくトルーマン自身が広島に足を踏み入れて、
目前の子供を銃で撃つことはできなかったはずである。
だが現実、彼は、
リスト上の「ヒロシマ」にチェックを入れることはできたのである。
そこには殺される人の名前は書かれてはいなかった。

多くの経営者が机上で、統計学をもって日々の経営を行う。
リストラともなれば、
45歳以上、評価はC以下、給料は700万以上、職種は管理職、
そういった統計学的手法によって大量クビ切りを断行する。
社員個々の顔は、決して思い浮かべない。
浮かべては「クビ(殺戮)にはできない」のである。

私は仲間とこのアイヒマンが陥った麻痺的な病心理を、
「アイヒマン・シンドローム」と呼んでいる。
ある仲間は、
「アイヒマンでなければ会社は大きくできない」と言い、
ある仲間は、
「それでは血の通った経営はできない」と言う。

「殺戮と経営を一緒にするなよ」と言われそうだが、
この「アイヒマンの机上統計のオペレーション」は、
経営のそれとまったく同じである。
大きくなった会社、そして国の舵を取る政治では、
どちらも「マスの属性」を判断材料とする、
血の通わない机上の統計学に陥るのである。

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 社長 谷洋の独り言ブログ 日々是好日